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野反湖弁天山
- 2020/08/29(Sat) -
2020年8月1日
コース:中之条~野反湖~弁天山~世立八滝~大仙の滝~段々の滝

 東北地方の城跡巡りから帰って、8月は2回ほど山歩きに出かけました。はじめにキスゲとコマクサの野反湖です。
 一面のキスゲ群落を楽しみに、7月中から野反湖への計画を立ててはいました。ところが今年は7月いっぱい梅雨が残って、予定をするといつも雨で延期となって、ついに8月へ入ってしまいました。コマクサ養生地と、湖畔の弁天山を往復してシーズンラストまでがんばって残っていた花々を何とかこれくらいには見られました。
 帰り道中の世立八滝のうちの、大仙の滝と段々の滝を訪ねました。こちらは梅雨で増水していて、迫力ある姿で流れていました。

弁天山71

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盛岡城
- 2020/08/23(Sun) -
2020年7月18日
コース:盛岡~盛岡城

 東北北部の城跡遺跡巡り。ラストは盛岡城です。IGRいわて銀河鉄道に乗って向かいました。八戸、三戸、盛岡と、室町から江戸期にかけての、南部氏の発展と本拠の移動をたどるかのような旅になりました。
 この地は、南部氏の家臣福士氏の不来方城(こずかたじょう)があった場所です。ここに新たな縄張(なわばり)で石垣を巡らし、本丸・ニの丸・三の丸を築きました。不来方城は盛岡城の別名というわけではなくて、別の城郭になります。
 また伝承によれば、かつてこの地には鬼が辺りを荒らしまわっていて、里人が神様にお願いして、鬼を捕らえてもらったところ、鬼は二度とこの地に来ない証として、岩に手形を残しました。これが「岩手」として、郡名さらには県名の由来となりました。
 実際に登城すると、さすがに縄張りも複雑で、美しい石垣の百名城でした。堀には鴨が遊び、紫陽花が満開でした。城主と思われる茶白トラと、家老のハチワレにあいさつしました。
 次回からはこの夏の登山をおくります。更新は1週間ほど先になります。

盛岡城63

盛岡城1 盛岡城2 盛岡城3 盛岡城4 盛岡城5 盛岡城6 盛岡城7 盛岡城8 盛岡城9 盛岡城10 盛岡城11 盛岡城12 盛岡城13 盛岡城14 盛岡城15 盛岡城16 盛岡城17 盛岡城18 盛岡城19 盛岡城20 盛岡城21 盛岡城22 盛岡城23 盛岡城24 盛岡城25 盛岡城26 盛岡城27 盛岡城28 盛岡城29 盛岡城30 盛岡城31 盛岡城32 盛岡城33 盛岡城34 盛岡城35 盛岡城36 盛岡城37 盛岡城38 盛岡城39 盛岡城40 盛岡城41 盛岡城42 盛岡城43 盛岡城44 盛岡城45 盛岡城46 盛岡城47 盛岡城48 盛岡城49 盛岡城50 盛岡城51 盛岡城52 盛岡城53 盛岡城54 盛岡城55 盛岡城56
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三戸城
- 2020/08/20(Thu) -
2020年7月17日
コース:三戸~三戸城

 八戸から青い森鉄道で南下して三戸へ向かいました。
 室町初期のころまでは南部一族のうち、根城を本拠とする八戸南部氏が勢力を広げていましたが、室町中期より三戸南部氏の力が高まりました。当代の南部晴政が居城にしていた聖寿寺館(本三戸城)が1539年に焼失したため、晴政は1560年代に標高130mの独立丘陵の留ヶ崎の地に三戸城を築いて居城としました。
 1590年の豊臣秀吉の小田原征伐には、26代当主の南部信直は1千の兵を率いてかけつけ、秀吉によって南部7郡の所領を安堵され、近世大名としての地位を確立しました。その後、九戸城主の九戸政実が反乱を起こしたため、豊臣軍とともに九戸城を攻め落とし、蒲生氏郷らにより、三戸城は石垣を持った城へと普請され、三層三階の御三階櫓が築かれました。
 昭和に現在の模擬天守が築かれ、平成に綱御門が復元されています。

三戸城47

三戸城1 三戸城2 三戸城3 三戸城4 三戸城5 三戸城6 三戸城7 三戸城8三戸城9 三戸城10 三戸城11 三戸城12 三戸城13 三戸城14 三戸城15 三戸城16 三戸城17 三戸城18 三戸城19 三戸城20 三戸城21 三戸城22 三戸城23 三戸城24 三戸城25 三戸城26 三戸城27 三戸城28 三戸城29 三戸城30 三戸城31 三戸城32 三戸城33 三戸城34 三戸城35 三戸城36 三戸城37 三戸城38 三戸城39 三戸城40
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八戸根城
- 2020/08/16(Sun) -
2020年7月17日
コース:八戸~根城

 現存十二天守にして桜の名所の弘前城。この西の弘前とともに東の八戸にも青森県内の堂々の日本100名城があります。青い森鉄道で八戸まで南下して根城に登城しました。
 鎌倉幕府滅亡の1333年、後の南朝方後醍醐天皇側近の北畠顕家は甲斐国地頭職の南部師行を伴って、陸奥国に下向しました。師行はこの地に築城して、南朝方の根本の城なるようにと、根城 と名づけました。以来領地替えまでの約300年間、八戸地方の中心として栄えました。
 国史跡に指定され、城としての機能が最も充実した安土桃山時代の姿を忠実に復原。主殿や工房・納屋・馬屋などの建物が忠実に復原され当事の面影を現代に伝えています。城内を周っていると、馬屋に馬がいて驚きました。

根城51

根城1 根城2 根城3 根城4 根城5 根城6 根城7 根城8 根城9 根城10 根城11 根城12 根城13 根城14 根城15 根城16 根城17 根城18 根城19 根城20 根城21 根城22 根城23 根城24 根城25 根城26 根城27 根城28 根城29 根城30 根城31 根城32 根城33 根城34 根城35 根城36 根城37 根城38 根城39 根城40 根城41 根城42 根城43 根城44
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三内丸山遺跡
- 2020/08/13(Thu) -
2020年7月17日
コース:青森~三内丸山遺跡

 出羽の国、秋田県の県都秋田から、陸奥の国、青森県の県都青森へと北上しました。時代は緯度以上にさらにさかのぼり、秋田城の中世奈良時代から古代縄文時代へと、三内丸山遺跡を見学しました。
 この地に遺跡があることは、江戸初期から記録され知られていました。時は下って平成初期に、青森県は県営野球場建設のため、本格的な調査を行ったところ、大規模な集落跡や大型建物跡が見つかり、大英断により野球場は中止され、遺跡は保存されました。
 復元された大型掘立柱や高床式建物を実際に見ると、重機はもちろんのこと斧や鋸など金属器もまだない時代に、よくこれだけの大きな木材を切り出してここに運んで建てたものと感動を覚えます。当日もボランティアガイドさんが見学者に熱心に解説していました。
 また、「縄文文化は、自然と人間が共生し、約1万年にわたって営まれた、高度に発達・成熟した、世界史上稀有な先史時代の文化で、人類共通の宝として未来へ伝えていかなければならない貴重な文化遺産である」と、世界遺産登録をこちらも熱心に目指していました。北海道へもまたがる遺跡分布地図を見ると、何だか江戸末期の列藩同盟を連想しました。
 旧東北本線の青い森鉄道。さすがにイメージカラーは青でした。ここからは旧南部領を南下していきます。

三内丸山63

三内丸山1 三内丸山2 三内丸山3 三内丸山4 三内丸山5 三内丸山6 三内丸山7 三内丸山8 三内丸山9 三内丸山10 三内丸山11 三内丸山12 三内丸山13 三内丸山14 三内丸山15 三内丸山16 三内丸山17 三内丸山18 三内丸山19 三内丸山20 三内丸山21 三内丸山22 三内丸山23 三内丸山24 三内丸山25 三内丸山26 三内丸山27 三内丸山28 三内丸山29 三内丸山30 三内丸山31 三内丸山32 三内丸山33 三内丸山34 三内丸山35 三内丸山36 三内丸山37 三内丸山38 三内丸山39 三内丸山40 三内丸山41 三内丸山42 三内丸山43 三内丸山44 三内丸山45 三内丸山46 三内丸山47 三内丸山48 三内丸山49 三内丸山50 三内丸山51 三内丸山52 三内丸山53 三内丸山54 三内丸山55 三内丸山56
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久保田城
- 2020/08/07(Fri) -
2020年7月16日
コース:秋田~久保田城

 秋田には、中世の続名城の秋田城と、近世の百名城の久保田城があります。さらに廃藩置県後も県都ですので、東北日本海側の時代を超えた中心地ですね。
 秋田駅に戻って、ほど近い久保田城を目ざしました。広い堀には折しも蓮が満開で、何人ものカメラマンが、中には三脚まで据えていました。戦国期の城攻めでは籠城側は、堀で防ぐ、堀を越えさせないのが生命線で、上杉謙信に小田原城を囲まれた北条氏や、大坂冬の陣は半ば成功した例でしょう。この時のふさじろうも、堀の蓮につかまってしまって、なかなか堀を越えられませんでした。結果、城内が駆け足になってしまいました。
 久保田城の秋田藩は戊辰戦争の時は、奥羽越列藩同盟を裏切ったとして、庄内藩や盛岡藩から攻められました。落城の前に列藩側が降伏して、何とか免れました。理由としては徳川による江戸期の転封を遠因としたり、近隣他藩よりも勤皇思想が強いなど、いろいろと上げられていました。今回、新庄城、横手城、久保田城を周って、案内板を読むと、それぞれ当時の藩にしてみれば、藩主も藩士もいろいろと悩み考えた結果かなと納得できるところもありました。
 ざっくりと見れば、かなり歴史も異なり温度差のある東北諸藩を、一度は形式的でもよく列藩同盟という形にまとめられたな~と。関ヶ原の西軍のようにも思えました。石田三成に匹敵する人物がいたのでしょう。出羽の国を周ってきましたが、次回からはさらに北上して陸奥の国に入ります。更新は1週間ほど先になります。

久保田城83

久保田城1 久保田城2 久保田城3 久保田城4 久保田城5 久保田城6 久保田城7 久保田城8 久保田城9 久保田城10 久保田城11 久保田城12 久保田城13 久保田城14 久保田城15 久保田城16 久保田城17 久保田城18 久保田城19 久保田城20 久保田城21 久保田城22 久保田城23 久保田城24 久保田城25 久保田城26 久保田城27 久保田城28 久保田城29 久保田城30 久保田城31 久保田城32 久保田城33 久保田城34 久保田城35 久保田城36 久保田城37 久保田城38 久保田城39 久保田城40 久保田城41 久保田城42 久保田城43 久保田城44 久保田城45 久保田城46 久保田城47 久保田城48 久保田城49 久保田城50 久保田城51 久保田城52 久保田城53 久保田城54 久保田城55 久保田城56 久保田城57 久保田城58 久保田城59 久保田城60 久保田城61 久保田城62 久保田城63 久保田城64 久保田城65 久保田城66 久保田城67 久保田城68 久保田城69 久保田城70 久保田城71 久保田城72 久保田城73 久保田城74 久保田城75 久保田城76
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秋田城
- 2020/08/04(Tue) -
2020年7月16日
コース:横手~奥羽本線~秋田~秋田城

 横手から秋田へ向かいました。秋田駅では隣のホームから、こまちが東京へと出発進行するところでした。
 秋田城は奈良時代から平安時代にかけて東北地方の日本海側(出羽国(でわこく))に置かれた、政治・軍事・文化の中心地でした。東北各地に同じように造られた律令国家の地方官庁の遺跡は「城柵官衙遺跡」(じょうさくかんがいせき)と呼ばれており、秋田城はその中で最も北に位置しています。
 朝廷の支配域の北上にともない、庄内地方から移転したもので、初めは「出羽柵」(いではのき)と呼ばれ、奈良時代後期ころから 秋田城 と呼ばれるようになりました。出羽国の政治を行う「国府」が置かれ、津軽(青森)・渡嶋(わたりしま)(北海道)のほか、大陸の渤海国など、北方交易・交流の拠点としても重要な役割を果たしていました。
 また、秋田城からは奈良時代には他にない水洗トイレ遺構が発見されています。トイレの使用者は大陸からの外来者、渤海の人たちである可能性が高く、秋田城は大陸との外交窓口の重要な施設でした。平安後期からは、大規模な蝦夷の反乱や、前九年の役などが起こり、しだいに衰退し歴史上から姿を消して行きました。
 国史跡で、続日本百名城に選ばれています。

秋田城47

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横手城
- 2020/08/01(Sat) -
2020年7月16日
コース:新庄~奥羽本線~横手~横手城

 山形県新庄盆地から雄勝峠を越えて秋田県横手盆地に入りました。横手城は戦国時代に小野寺氏が築城し、山形から北へ勢力を伸ばしてきた最上氏と激戦を繰り返していました。関ヶ原の戦いの時に、最上氏との経緯から、東軍として参戦しなかったため、小野寺氏は改易され、秋田に佐竹氏が移封されてくると、その支城となりました。
 その後は江戸期を通じて、佐竹一門の戸村氏が城代を務めました。江戸時代初期には、宇都宮釣天井事件により本多正純が流罪で横手城預かりとなりました。幕末には秋田藩代表として、横手城主が奥羽越列藩同盟に赴きましたが、直後に秋田藩が官軍側についたため、怒った列藩側から攻撃されて、ついには落城してしまいました。
 戊辰戦争での落城や悲劇は、会津や二本松のように官軍側からの攻撃によるものばかりでなく、東北地方内の藩の間でも、新庄や横手のようにいろいろとあったことを今回の旅で知りました。時代は下ってつい最近の昭和40年に現在の天守が建てられています。道路も広々と整備された城下町と城の間を、激戦の歴史を秘めた横手川が悠々と蛇行していました。

横手城35

横手城1 横手城2 横手城3 横手城4 横手城5 横手城6 横手城7 横手城8 横手城9 横手城10 横手城11 横手城12 横手城13 横手城14 横手城15 横手城16 横手城17 横手城18 横手城19 横手城20 横手城21 横手城22 横手城23 横手城24 横手城25 横手城26 横手城27 横手城28
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