山と渓歩く
山や渓を歩き、花や緑を写したミニアルバムです。お寺やお城も少しあります。
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2017 04
プロフィール
Author:ふさじろう
関東甲信越周辺の山歩きをしています。ブログに写真を整理して山行備忘録としています。山歩きも更新もスロ~ペ~スです。 (^ ^;)ゞ
2010年7月17日 開店
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富山
- 2017/03/30(Thu) -
2017年1月6日
コース:千葉~岩井~福満寺~富山~伏姫籠穴~福聚院
房総半島の富山(とみさん)に登りました。1月はスイセンの群生が花開いています。ツバキや菜の花の他に温暖のため紅葉もまだ残っていました。
富山は 南総里見八犬伝 ゆかりの山です。町内のあちこちに、伏姫と八房(やつふさ:犬)の絵も描かれています。山頂の展望台から眺めていると、犬を連れた山ガールさんが登ってきました。山でワンコに行き会うときは、今まで家族連れかご夫婦でがほとんどでしたが、若い女性1人で1匹は初めてです。あいさつをしてワンちゃんだけを撮らせてもらいました。何だか、伏姫と八房が現代に現れたような不思議な思いで、富山を後にしました。
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千葉の山
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光明寺
- 2017/03/25(Sat) -
2009年11月24日
コース:長岡京~光明寺~楊谷寺~長岡天満宮
箕面から府境を越えて、長岡京に入りました。紅葉が美しい2寺1社を参拝して帰りました。
ここで在庫整理をひと区切りして、次から2017年に入ります。
光明寺
西山浄土宗の総本山。1175年、浄土宗を開いた法然上人は、ここ粟生野の地で初めて念仏の法門を説いた。
源平の戦いで有名な熊谷次郎直実が、法然の教えに感銘。出家して弟子入りし、修行ののち蓮生法師となり、上人ゆかりのこの地に、1198年、念仏三昧院を建てたのが発祥。
法然が亡くなると、この地で荼毘に付され廟堂が建てられた。法然の石棺からまばゆい光明が発せられ、四条天皇はそのことを聞いて光明寺の勅額をあたえたという。
楊谷寺
京都清水寺の開祖延鎮が806年に、夢告によりこの地で十一面千手千眼観音菩薩像を感得し、堂を建て安置したのが始まりとされる。境内には弘法大師の法力による独鈷水(おこうずい)があり、眼病に効くことで知られている。通称、柳谷観音(やなぎだにかんのん)。
長岡天満宮
菅原道真が在原業平らとともに、 しばしば遊んで詩歌管弦を楽しんだ縁深いところで、太宰府へ左遷された時、この地に立ち寄り「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しんだ縁故によって、公自作の木像をお祀りしたのが創立。
以後皇室による寄進造営があり、1638年には八条宮智仁親王によって「八条ヶ池」が築造された。現在の社殿は、昭和16年に平安神宮の社殿を拝領移築したもの。
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京都の山
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勝尾寺
- 2017/03/22(Wed) -
2009年11月23日
コース:大阪~箕面~勝尾寺~箕面滝~瀧安寺~西江寺~京都へ
大阪府南部の旧国名では河内の国を後にして、今回は北部の摂津の国からおくります。紅葉がすばらしい箕面川沿いを、西国三十三観音の勝尾寺や、日本の滝百選の箕面滝などを訪ねました。
写真はありませんが、この箕面行きでもっとも感動したのは、初めての阪急梅田駅構内ホームと阪急電車でした。改札を通ると、始発の路線が横に何列もあって、同色の列車が何台も並んでいました。こういう風景は首都圏のターミナルでは見かけなくて、外国映画に出てくるヨーロッパの駅を連想しました。
停車中の阪急電車はいずれもシックなあずき色一色に統一されていて、日ごろ見かける鮮やかな2色以上使った関東周辺の車両とは違い、歴史と伝統を感じさせる色合いです。昔々の東武電車に似たようなこげ茶一色があったのを思い出しました。
さらにはその並んだ列車が、0時0分ちょうどに3台が一斉に出発したのです。これも見かけない光景で、驚きました。アメフトのショットガンフォーメーションのようでした。
勝尾寺
775年、光仁天皇の子開成皇子は大般若経の書写を完成し、この地に堂を建てて経を納め、この寺を「弥勒寺」と命名した。
その後、行巡上人の代に、清和天皇の病気治癒の祈祷を行い、天皇の病が癒えたことから、寺の法力が王に勝ったということで、天皇が「弥勒寺」を「勝王寺」に改名したという。しかし、寺側はあまりにも畏れ多いとして、「王」を「尾」に変え「勝尾寺」としたと伝えられている。
以来、源氏、足利氏など諸将軍が勝運を祈願したところから、勝運信仰の寺として名をとどめることになった。西国三十三観音第23番。
瀧安寺
658年、役行者により開かれる。役行者は箕面の滝で修行中に、龍樹菩薩より法を授けられ、滝の下で不動明王と弁財天の像を刻んで堂宇に安置し、「箕面寺」と命名したのが始まり。本尊の弁財天は竹生島、江ノ島、厳島と並ぶ日本四ヶ所弁財天の1つ。
弁財天を祀っている所から、芸能の寺としても知られ、近松門左衛門ら上方歌舞伎関係者が大般若経を奉納している。また、宝くじの発祥である富くじを、天正年間に日本で初めて始めた寺院でもある。
西江寺
658年、役行者によって開かれた。ある日、光の中から老翁に化身した大聖歓喜天が現れ、役行者はこの箕面山を日本最初の歓喜天霊場としたという。本堂には役行者作と伝承する大聖歓喜天像と、室町時代作と伝えられる大黒天も祀られている。
かつては、摂津国神宮寺と称したが、明治時代末期に聖天宮西江寺と改称した。「みのおの聖天さん」と呼ばれ親しまれている。
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大阪の旅
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観心寺
- 2017/03/16(Thu) -
2009年11月21日~22日
コース:大阪~河内~金剛寺~施福寺~延命寺~観心寺~楠妣庵~弘川寺
フィルムを整理して、京都、滋賀、和歌山、奈良と関西各府県を編集してきました。それならばとデジカメからですが、大阪府の寺々もまとめます。京都奈良と隣接していて、立派な伽藍ぞろいでした。はじめに大阪府南部の河内地方を歩きました。西国三十三観音や楠木正成ゆかりの名刹などを巡りました。
金剛寺
真言宗御室派の大本山。山号は天野山。聖武天皇の勅願により行基が開基。空海も修行をしたと伝わる。後白河法皇の妹、八条女院が弘法大師像を安置し、女性が仏縁を結ぶ霊場として「女人高野」と呼ばれる。
南北朝時代には南朝方の勅願寺とされ後村上天皇の行在所となった。時期により北朝方の行在所ともなった。吉川英治著「宮本武蔵」に天野村にあるお寺として登場。かつて坊舎では地酒「天野酒」を醸造し、豊臣秀吉も賞味したという。
施福寺
山号は槇尾山。槇尾寺とも呼ばれる。550年頃欽明天皇の時代に開創。役行者が法華経の巻々を葛城山の各所に埋納し、最後に埋めたのがこの山のため巻尾山(槇尾山)と名づけられたとする地名伝承がある。その後行基がここで修行し、空海も剃髪得度したと伝わる。
西国霊場を再興した花山法皇が、粉河寺から施福寺に向かったとき、道に迷って困っていると、馬が現れ花山法皇を道案内したという伝説があり、境内に観音馬像がある。西国三十三観音第4番。
延命寺
弘仁年間(810年~824年)に、弘法大師が地蔵菩薩を刻んで安置したのが起源と伝えられる。延命寺周辺は昔、 鬼住村と呼ばれる鬼伝説があり、勇敢な男が弓矢を武器に鬼を退治したという。その後、延命寺として中興した浄厳はこの勇敢な男の子孫だといわれる。樹齢1000年の「夕照もみじ」は大阪府天然記念物に指定。
観心寺
701年、役行者によって開かれ、後に弘法大師空海が真言宗の道場とした。以後観心寺は高野山と奈良・京都の中継地として発展。本尊如意輪観音菩薩は平安時代密教美術最高の仏像といわれる国宝の秘仏。金堂も大阪府下最古の国宝建造物。境内には道興大師の墓、楠木正成の墓、後村上天皇の御陵などがある。関西花の寺第25番。
楠妣庵
楠妣庵観音寺。楠木正成の嫡男、楠木正行が後醍醐天皇を悼み、峰篠山の一角に一殿を建て、天皇の念持仏であった千手観音を奉安した峰篠山観音殿に始まる。
正成の妻で正行の母である久子は、夫と息子の戦死後に出家して「敗鏡尼」と名乗り、観音殿と同じ地に楠妣庵と称された草庵を結び隠棲して菩提を弔った。正行の弟正儀が敗鏡尼の没後に「観音寺」と改めて、一族の菩提寺とした。
弘川寺
665年、役行者によって開かれた葛城6坊の1つ。その後677年に、天武天皇の請雨祈願をはたしたことから勅願寺となった。737年には行基が当寺で修行し、812年には嵯峨天皇の命を受けた弘法大師空海が中興した。
1188年に当寺の座主空寂上人は、後鳥羽天皇の病回復祈願の功によって、奥の院「善成寺」を建て、寺号の勅額を賜わっている。翌1189年西行法師が空寂上人の法徳を慕って来住し、翌年、この寺で亡くなっている。
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大阪の旅
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吉野山
- 2017/03/10(Fri) -
2003年10月31日~11月3日
コース:奈良~斑鳩~吉野山~初瀬~多武峰~室生
夏の高野山に続いては、秋の吉野山を訪ねました。せっかくなので奈良県内の名社名刹も何カ所か参拝してきました。今、振り返ると、この時は、「法隆寺地域の仏教建造物」、「古都奈良の文化財」、「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産の3カ所を巡る旅にもなりました。
タイトルにした吉野山は日本の歴史が凝縮しています。吉野町公式サイトを編集しました。
花の吉野は、豊かな歴史や伝承で彩られています。古代においては何と言っても、大海人皇子(後の天武天皇)が吉野に潜行され壬申の乱で兵を挙げられたことは有名です。時代が下ると源義経が兄頼朝の追捕を逃れて、愛妾静や弁慶などを伴って吉野に入りました。しばしの安らぎも束の間、吉野から逃れる際に別れざるを得なかった義経・静の悲恋の物語が残っています。
さらに時代が下ると大塔宮護良親王が鎌倉幕府倒幕のために、河内の楠木正成と呼応して吉野を城塞化され、兵を挙げられます。また、建武の新政の夢破れられた後醍醐天皇が、吉野に朝廷を開かれたことは太平記に詳しく記されています。南朝四帝が吉野の地を頼みとされ、京都奪回のためにこの地から全国に号令を発せられたのです。この願いは遂に実現しませんでしたが、忠僧宗信法印をはじめ当時の吉野の人々は、我が身を顧みず終始、南朝のために尽くしたのです。
このように吉野は中央で居所を失った人々、所謂アウトサイダー達が再起を図る場所といっても良いでしょう。その都度、吉野は戦場と化し、多くの命が失われ、悲しい別れが幾度と無く繰り返されたのです。後に、太閤秀吉が5000人の家来を引き連れて大花見を行ったという記録もありますが、吉野は、そのような晴れがましい歴史より、哀しい歴史に思いを馳せたくなるような土地柄なのです。
10月31日~11月1日 法隆寺~薬師寺~平城京~西行庵~竹林院~如意輪寺~金峯山寺
11月2日~3日 長谷寺~談山神社~長岳寺~室生寺
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奈良の山
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高野山
- 2017/03/07(Tue) -
2003年8月8日~10日
コース:大阪~極楽橋~女人堂~金剛峯寺~壇上伽藍~大門~奥の院~塔頭めぐり
いつかは参拝をと思っていた高野山へこの時ようやく訪ねられました。山上に大伽藍群が広がります。大門から奥の院までひととおり歩きましたが、2日間は雨と濃霧でほとんどカメラを出せませんでした。サムネイルで高野山らしいのは根本大塔くらいで、ほかは雨が上がった残りの時間に歩いた塔頭になります。
四国八十八カ所を遍路してその結願のために高野山を参拝に来た御仁と宿坊で泊まり合わせました。一晩たっぷりと四国の話をうかがって、その後の四国行のきっかけとなりました。
大阪から南海電車で往復しました。この時の高野山行きで一番印象に残っているのが、九度山から先、極楽橋までの車窓でした。狭い谷沿いで垂直の絶壁の中腹を最徐行で列車は進みます。いかに参拝者が多いとはいえ、よくこんな所に軌道を敷設したことに感心しました。開設関係者の努力と苦労を想像しました。
高野山と弘法大師
標高約900m、蓮華のように八葉の峰々に囲まれた山上盆地に広がる高野山は、弘法大師・空海が開いた日本を代表する真言密教の聖地です。
弘法大師は、密教の道場を開くのにふさわしい地として、都の喧噪から遠く離れた紀伊山地の雄大な自然に抱かれた場所を選びました。国、社会の安泰を祈り、人々のために活躍できる人材も育てたいという思いで活動します。
そして、世の中の迷える人や苦しむ人を救うため永遠に祈り、深い瞑想に入りました。こうして弘法大師は奥之院に生き続け、世の中の平和と人々の幸福を願っているという大師信仰が生まれました。
現在も高野山は、僧侶たちが修行を続ける学びの場であるとともに、多くの人々の信仰を集め、親しまれています。
(和歌山県観光情報より)
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和歌山の旅
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木曽路
- 2017/03/04(Sat) -
2003年7月18日~19日
コース:木曽路~妻籠~男滝・女滝~馬籠~木曽福島~興禅寺~須原~定勝寺~奈良井
塩田平に続いては、木曽路です。中山道沿いの宿場町と名刹を訪ねました。馬籠の郵便屋さんは往時の姿で配達をしていて、観光に一役買っていました。木曽福島の興禅寺、枯山水の石庭「看雲庭」は日本一の広さです。
定勝寺は木曽三大寺のひとつで、木曽の最古刹。本堂・庫裏・山門が桃山建造物として国の重要文化財に指定されています。枯山水の鶴亀蓬莱庭園が広がります。
奈良井宿に架かる 木曽の大橋 は、美しい総檜造りの太鼓橋で、橋脚を持たない橋としては日本有数の大きさです。
長野県公式サイトによる概要です。
中央アルプスと御嶽山系に挟まれた木曽地域。島崎藤村の小説『夜明け前』の冒頭、「木曽路はすべて山の中である」というくだりはあまりにも有名ですが、その言葉通りに、木曽川、奈良井川のわずかな流域を除いて山に囲まれ、ヒノキをはじめとした美しい森林に覆われています。
この地域には、妻籠宿など、かつての中山道の宿場が、昔の姿をとどめた文化遺産として保存され、多くの観光客を集めています。また、古くから信仰を集める御嶽山、寝覚ノ床、木曽馬の産地だった開田高原なども観光地として有名です。
産業としては、豊かな森林資源を生かした林業が古くから盛んでした。また、木曽漆器をはじめとする数々の伝統的な木工芸も今に伝えられています。
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長野の山
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塩田平
- 2017/03/01(Wed) -
2003年5月24日~25日
コース:上田~芳泉寺~前山寺~龍光院~中禅寺~大法寺~常楽寺~安楽寺
3月に入りましたが、昔のフィルム整理がひと区切りになるまで続けます。信州を2回シリーズでおくります。上田の千曲川左岸に広がる 塩田平 は、信州の鎌倉とも呼ばれ、国宝、重文の宝庫です。
前山寺は、弘法大師が開き、「未完成の完成塔」といわれる重文の三重塔があります。
中禅寺薬師堂は、中部地方最古の木造建築物で、本尊とともに重文に指定されています。
大法寺三重塔は、塔の美しさから「見返りの塔」とも呼ばれている国宝です。
安楽寺は、信州最古の禅寺で、日本唯一の八角三重塔は中国宋時代の禅宗様で建てられている国宝です。
上田市公式サイトの案内です。
信州の鎌倉
上田市の西南に広がる塩田平一帯は、鎌倉幕府の重職であった北条義政からその孫まで、三代に渡り約六十年、塩田北条氏が信濃の一大勢力としてこの地方を統治したことから「信州の鎌倉」と呼ばれており、鎌倉時代から室町時代にかけて造られた神社仏閣など、数多くの文化財が残っています。そのため、塩田平は、美しい日本の歴史的風土準100選に選定されています。
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長野の山
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