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本願寺
- 2017/02/25(Sat) -
2002年6月15日~17日
コース:京都~本願寺~宇治~醍醐~伏見~東寺

 前回の紅葉から半年後、周っていなかった京都南部を巡りました。アジサイやハナショウブの季節でした。
 最初に参拝した浄土真宗の本山、本願寺 をタイトルにしました。京都観光Naviの案内です。

宗教法人 本願寺(西本願寺)
 浄土真宗本願寺派の本山。1272年(文永9)宗祖・親鸞聖人の末娘覚信尼が京都の東山大谷に建立した廟堂に始まる。第3代覚如上人のときに本願寺と公称。第8代蓮如上人の尽力により大教団に発展。
 その後、寺地は大阪、和歌山などを転々とした後、1591年(天正19)豊臣秀吉が寺地を寄進、現在地に移った。1602年(慶長7)本願寺は東西に分立。御影堂と阿弥陀堂はともに国宝。書院の庭園(特別名勝)は桃山文化を代表する枯山水様式。
 その他、わが国最古の能舞台である北能舞台、唐門など桃山文化を今に伝える国宝建造物を多数有している。美術工芸品では三十六人家集(国宝)などを所蔵。1994年(平成6)12月「古都京都の文化財」として、世界文化遺産に登録された。

真宗本廟(東本願寺)
 真宗大谷派の本山で「お東さん」の名称で親しまれている。1602(慶長7)年に第12代教如上人が徳川家康からこの地の寄進を受け、建立した。京都三大門のひとつに数えられる御影堂門をくぐると並んでそびえ立つのが御影堂と阿弥陀堂である。広さ927畳の御影堂は世界最大級の木造建築で宗祖親鸞聖人の木像を安置しており、阿弥陀堂は本尊の阿弥陀如来を安置している。
 なお、現在の両堂は1895(明治28)年に再建されたものであり、その際に巨大な用材を引き上げるため、全国の門徒から寄進された毛髪と麻を撚り合わせて作った毛綱も残されている。また、御影堂は2008年末に修復が完了。阿弥陀堂と御影堂門は2015年末まで修復工事中。
 真宗本廟の飛地境内地として石川丈山の作庭による渉成園(枳殻邸=きこくてい)があり、1936(昭和11)年に国の名勝に指定された。

6月15日 興正寺~西本願寺~東本願寺~萬福寺~平等院~興聖寺~宇治神社~三室戸寺~醍醐寺~勧修寺

本願寺1 本願寺2 本願寺3 本願寺4 本願寺5 本願寺6 本願寺7 本願寺8 本願寺9 本願寺10 本願寺11 本願寺12 本願寺13 本願寺14 本願寺15 本願寺16 本願寺17 本願寺18 本願寺19 本願寺20 本願寺21 本願寺22 本願寺23 本願寺24 本願寺25 本願寺26 本願寺27 本願寺28 本願寺29 本願寺30 本願寺31 本願寺32 本願寺33 本願寺34 本願寺35 本願寺36 本願寺37 本願寺38 本願寺39 本願寺40 本願寺41 本願寺42 本願寺43 本願寺44 本願寺45 本願寺46 本願寺47 本願寺48 本願寺49 本願寺50 本願寺51 本願寺52 本願寺53 本願寺54 本願寺55 本願寺56 本願寺57 本願寺58 本願寺59 本願寺60 本願寺61 本願寺62 本願寺63 本願寺64 本願寺65 本願寺66 本願寺67 本願寺68 本願寺69 本願寺70 本願寺71 本願寺72 本願寺73 本願寺74 本願寺75 本願寺76
本願寺77 本願寺78 本願寺79 本願寺80 本願寺81 本願寺82 本願寺83 本願寺84 本願寺85 本願寺86 本願寺87 本願寺88

6月16・17日 藤森神社~墨染寺~宝塔寺~石峰寺~伏見稲荷大社~法金剛院~梅宮大社~三十三間堂
          ~養源院~法住寺~智積院~豊国神社~方広寺~東寺

本願寺89 本願寺90 本願寺91 本願寺92 本願寺93 本願寺94 本願寺95 本願寺96 本願寺97 本願寺98 本願寺99 本願寺100 本願寺101 本願寺102 本願寺103 本願寺104 本願寺105 本願寺106 本願寺107 本願寺108 本願寺109 本願寺110 本願寺111 本願寺112 本願寺113 本願寺114 本願寺115 本願寺116 本願寺117 本願寺118 本願寺119 本願寺120 本願寺121 本願寺122 本願寺123 本願寺124 本願寺125 本願寺126 本願寺127 本願寺128 本願寺129 本願寺130 本願寺131 本願寺132 本願寺133 本願寺134 本願寺135 本願寺136 本願寺137 本願寺138 本願寺139 本願寺140 本願寺141 本願寺142 本願寺143 本願寺144 本願寺145 本願寺146 本願寺147 本願寺148 本願寺149 本願寺150 本願寺151 本願寺152 本願寺153 本願寺154 本願寺155 本願寺156 本願寺157 本願寺158 本願寺159 本願寺160 本願寺161 本願寺162 本願寺163 本願寺164
本願寺165 本願寺166 本願寺167 本願寺168 本願寺169 本願寺170 本願寺171 本願寺172 本願寺173 本願寺174 本願寺175 本願寺176
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金戒光明寺
- 2017/02/22(Wed) -
2001年11月25日~26日
コース:京都~洛東~鷹峯~洛北

 近江路を縦走して京都に入りました。この2年前の1999年にまわった京都の紅葉寺の見残した何ヶ寺かを巡りました。
 タイトルにした 金戒光明寺 は、わが国の歴史の大きな転換点と係わりが深い名刹です。武家政権が始まる平安時代末期に、法然上人が比叡山を下りこの地に草庵を結び、浄土宗の布教を始めました。やがて鎌倉新仏教となり、浄土真宗や時宗も生まれ、現在に続く日本仏教の一大宗派になっています。
 それから約700年後の武家政権が終わる江戸時代末期には、京都守護職会津藩の本陣となりました。あの新選組もここで誕生しました。時代は戊辰戦争を経て明治維新を迎えることになります。
 こうしてみると、日本の歴史の宗教上、政治上の大きな変革期に、金戒光明寺はここが舞台になったというよりも、舞台は京都一円から全国へ広がり、そのベースキャンプのような、扇の要のような場所といえるでしょうか。
 京都観光Navi の案内です。

金戒光明寺
 「くろ谷さん」の名で親しまれる浄土宗大本山。法然上人が初めて草庵を結んだ地で、幕末の京都守護職を務めた会津藩主・松平容保(まつだいらかたもり)が本陣を構えた寺で、新選組誕生の地。特別拝観中に大方丈では「謁見の間」「虎の間」「松の間」の拝観と回廊式庭園「紫雲の庭」、平成24年に作られた庭「ご縁の道」が散策できる。御影堂では、伝運慶作の文殊菩薩像や吉備観音像(重文)も拝観できる。

11月25日 真如堂~金戒光明寺~聖護院~平安神宮

金戒光明寺1 金戒光明寺2 金戒光明寺3 金戒光明寺4 金戒光明寺5 金戒光明寺6 金戒光明寺7 金戒光明寺8 金戒光明寺9 金戒光明寺10 金戒光明寺11 金戒光明寺12 金戒光明寺13 金戒光明寺14 金戒光明寺15 金戒光明寺16 金戒光明寺17 金戒光明寺18 金戒光明寺19 金戒光明寺20 金戒光明寺21 金戒光明寺22 金戒光明寺23 金戒光明寺24 金戒光明寺25 金戒光明寺26 金戒光明寺27 金戒光明寺28 金戒光明寺29 金戒光明寺30 金戒光明寺31 金戒光明寺32
金戒光明寺33 金戒光明寺34 金戒光明寺35 金戒光明寺36 金戒光明寺37 金戒光明寺38 金戒光明寺39 金戒光明寺40 金戒光明寺41 金戒光明寺42 金戒光明寺43 金戒光明寺44 金戒光明寺45 金戒光明寺46 金戒光明寺47 金戒光明寺48 金戒光明寺49 金戒光明寺50

11月26日 光悦寺~源光庵~常照寺~曼殊院~詩仙堂

金戒光明寺51 金戒光明寺52 金戒光明寺53 金戒光明寺54 金戒光明寺55 金戒光明寺56 金戒光明寺57 金戒光明寺58 金戒光明寺59 金戒光明寺60 金戒光明寺61 金戒光明寺62 金戒光明寺63 金戒光明寺64 金戒光明寺65 金戒光明寺66 金戒光明寺67 金戒光明寺68 金戒光明寺69 金戒光明寺70 金戒光明寺71 金戒光明寺72 金戒光明寺73 金戒光明寺74 金戒光明寺75 金戒光明寺76 金戒光明寺77 金戒光明寺78 金戒光明寺79 金戒光明寺80 金戒光明寺81 金戒光明寺82 金戒光明寺83 金戒光明寺84 金戒光明寺85 金戒光明寺86
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湖東三山
- 2017/02/19(Sun) -
2001年11月23日~25日
コース:湖東三山~永源寺~湖南三山~石山寺

 いつもは通過してしまうことが多い滋賀県内を、米原で降りて石山寺までクルマで縦走しました。湖南三山は、そのうちの二山の長寿寺と常楽寺を参拝しました。早朝の近江盆地は琵琶湖からの朝霧が、境内まで漂ってきていました。紅葉も大伽藍も本当にすばらしくて、こんな枚数になってしまいました。

 タイトルの 湖東三山 を、「滋賀・びわ湖観光情報」から編集しました。

西明寺
 湖東三山の一つに数えられる天台宗の寺。平安時代、仁明(にんみょう)天皇の勅願により三修上人が開山したと伝えられます。江戸時代中期に望月友閑(もちづきゆうかん)に再興されました。門をくぐると参道が続き、山坊跡の石垣が散在しており、平安、鎌倉、室町時代を通じて祈願・修行(しゅぎょう)道場として栄えたことがうかがわれます。幸い織田信長の兵火を免れ、飛騨(ひだ)の匠によって建立された本堂や三重塔や二天門が残されています。
 本堂は、鎌倉時代初期に建立された建造物で、釘を一本も使わない純和風建築です。鎌倉の様式がよく保存され、国宝第一号に指定されています。本堂の右方に立つ三重塔は、総檜(そうひのき)の優美な姿の塔といわれ、初層内部に極彩色で金剛界の三十二菩薩など鎌倉時代の極楽浄土が描かれています。本堂と同じく釘を一本も使わない純和風建築で、国宝に指定されています。
 正面両脇に増長天(ぞうちょうてん)、持国天(じこくてん)を祀る二天門は、室町時代に建立され、重要文化財に指定されています。また、紅葉の名所としても有名ですが、不断桜があり、紅葉と桜を同時に見ることができます。

百済寺
 重厚な石垣に覆われた『山城』の趣が漂う天台宗の寺院。近江の最古級寺院で、今から1400年の昔、推古14年(606年)に、聖徳太子が百済人のために押立山(771.8m)の中腹に百済国の「龍雲寺」を模して創建された。
 龍雲寺と百済寺のご本尊は、同一の巨木から彫られた「同木二体」の十一面観世音菩薩と伝わる。開闢法要には、高句麗僧恵慈をはじめ百済僧道欽が仕え、暦を伝えた観勒も永く住したと言われている。その後、鎌倉時代には、「天台別院」と称され中枢部の300坊に加えて総計1000坊、1300余人を擁する大寺院となりましたが、室町・戦国時代には度重なる兵火を受けた。
 江戸初期になって、井伊家、春日局、甲良豊後守等の寄進を得て現在の本堂・仁王門・山門等が再建されました。往時の姿は、「石垣参道」、棚田のような「一千坊跡群」、「千年菩提樹」などから偲ぶことが出来ます。
 この百済寺は、北緯35度線上にあり西に向かって、太郎坊・比叡山・次郎坊(鞍馬山)を経て西方880kmの彼方には「百済国」がありました。多くの渡来人は百済寺の地から「望郷・遠望の想い」で母国を偲んだと言われております。

金剛輪寺
 湖東三山の一つで、奈良時代に聖武(しょうむ)天皇の勅願により行基が開山した天台宗の寺院。本尊は行基の作と伝えられます。また、源義経(みなもとのよしつね)が義仲追討の武運必勝を願い太刀を寄進したり、北条時宗が佐々木頼綱に命じて元軍降伏の祈願をしたといわれます。
 山門から本堂までサツキに囲まれた石段が続き、山岳城郭であったころの趣を今なお残しています。石段を登りつめたところに、当時の僧の機智により織田信長の焼き打ちによる焼失の難を免れた本堂大悲閣、三重塔、二天門があります。本堂大悲閣は、鎌倉時代の和様建築の代表とされ、国宝に指定されています。
 本堂前にある二天門は室町時代の建立で、最初、八脚門と呼ばれる楼門でしたが、江戸時代に二階部分が取り壊され現在の形になりました。三重塔は大悲閣(だいひかく)より古いものですが、荒廃したままとなっていたため、昭和49年(1974)復元されました。


11月23日 米原~西明寺~百済寺

湖東三山1 湖東三山2 湖東三山3 湖東三山4 湖東三山5 湖東三山6 湖東三山7 湖東三山8 湖東三山9 湖東三山10 湖東三山11 湖東三山12 湖東三山13 湖東三山14 湖東三山15 湖東三山16 湖東三山17 湖東三山18 湖東三山19 湖東三山20 湖東三山21 湖東三山22 湖東三山23 湖東三山24 湖東三山25 湖東三山26 湖東三山27 湖東三山28 湖東三山29 湖東三山30 湖東三山31 湖東三山32 湖東三山33 湖東三山34 湖東三山35 湖東三山36
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11月24日 金剛輪寺~永源寺~長寿寺~常楽寺

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11月25日 石山寺~京都へ

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熊本城
- 2017/02/16(Thu) -
2001年9月18日
コース:熊本~熊本城~本妙寺~水前寺公園

 福岡から熊本へ入りました。熊本は2016年4月の熊本地震により多くの人や建物が被災しました。今回のフィルムデジタル化は、管理人が行ったのはだいぶ前になりますが、その時の美しかった熊本城や水前寺公園などを整理,して公開したいということもありました。復興を祈念いたします。
 熊本県観光サイトの案内です。震災前の状況です。

熊本城
 日本三名城の一つ熊本城は別名銀杏城とも呼ばれ、名将加藤清正によって慶長6年(1601)に着工され、7年の歳月をかけ築城されました。城郭の広さは約98万平方メートル、周囲約9キロメートル(築城当時)、そのなかに天守3、櫓49、櫓門18、城門29を持つ豪壮雄大な構えで、美しい曲線で築かれた石垣や自然の地形を利用した独特の築城技術が生かされています。
 勝海舟は「築制他城の比にあらず。外周最大なり。郭城高く、堅牢おもうべし。」と感嘆しました。明治10年西南の役では、西郷隆盛率いる薩摩軍を相手に50日余も籠城し、難攻不落の城として真価を発揮しましたが、総攻撃の前日に原因不明の失火により宇土櫓他12棟を残し焼失しました。
 現在の天守閣は昭和35年、清正公350年祭と市制70周年を記念して熊本市によって再建されたものです。

本妙寺
 加藤清正の御廟所であり、九州における日蓮宗の巨刹としての格式を誇っています。天正13年(1585)、清正公の父清忠の菩提寺として大阪に建立したものを、同16年(1588)肥後入国後、熊本城内法華坂に移し、のち清正公の逝去後、現在地の中尾山中腹に移建したものです。
 蛇の目の紋の入った巨大な仁王門をくぐると長い石畳の参道が続き、両側には桜木と塔頭12カ寺が並んでいます。さらに176段の磴道は胸を突くような急勾配で、人はこれを「胸突雁木」と呼んでいます。この石段を中央にはさんだ石灯籠は信者から寄進されたもので、その数は700にも達しています。
 登りつめた高台に清正公が眠る色鮮やかな浄池廟があり、そこから200メートル余り登った山腹に、長烏帽子に片鎌槍姿の清正公の銅像が建っています。

水前寺公園
 江戸初期の寛永9年(1632)、肥後細川家初代忠利が、この地に水前寺を創建しました。のち寺が他所へ移されてその跡に御茶屋が建てられ、細川家代々の別邸、庭園とされたところです。明治時代以後、一般に開放されました。三代綱利のときに桃山式庭園が完成しました。
 また、桜が散策路に沿って約150本ほどあり、開花時の3月下旬から4月上旬頃にかけて、花見客で賑わいます。水前寺江津湖湧水群は平成の名水百選に認定されました。

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太宰府
- 2017/02/13(Mon) -
2001年9月16日~17日
コース:福岡~太宰府~柳川~熊本へ

関東に続いては九州の名刹です。福岡から熊本を訪ねました。2回に分けておくります。

博多~東長寺~聖福寺~承天寺

 博多駅の近くには寺町のような一角があり、ここから日本の文化や仏教に関係し影響を与えたお寺が多数ありました。
 東長寺は空海が建立した中では日本最古の寺で、日本最大の木造座像の、福岡大仏 が鎮座しています。
 聖福寺は中国で禅宗を学んだ栄西が開いた日本最古の禅寺です。喫茶の習慣を日本に伝えたため、お茶の発祥地としても有名です。
 承天寺を開いた聖一国師が中国から帰国した際に製粉の技術を持ち帰り、ここから、うどん、そば、まんじゅうなどの粉物食文化が広がりました。

 各所の案内は 福岡県観光情報クロスロードふくおか によります。

東長寺
 唐での修業を終えた空海(弘法大師)が建立。密教が東に長く伝わるようにと祈願された寺。日本一の木造釈迦仏座像。寺内には筑前国主黒田忠之(二代)、同光之(三代)の墳墓がある。正月28日の初不動、2月の節分会、3月の正御影供には多くの参拝者が訪れる。

聖福寺
 禅宗の始祖、栄西によって建立された、わが国最初の禅寺。山門の「扶桑最初禅窟」の勅額は後鳥羽上皇の宸筆で、寺域は禅寺の典型的な伽藍形式のものとして国史跡に指定。近隣には承天寺、東長寺など由緒ある寺社が集まっていて、静かなたたずまいを見せている。

承天寺
 鎌倉時代の仁治2年(1241年)、大宰少弐・武藤資頼が聖一国師(円爾)を招聘して創建。創建にあたっては、日宋貿易の拠点として栄えた博多で活躍していた謝国明ら宋商人が多くの援助を与えた。盛時には『西海の巨刹』と呼ばれるほどの規模を誇った。
 宋で仏法を学んだ開祖の聖一国師(円爾)は、博多の文化に多大なる影響を与えており、博多を代表する祭りの博多祇園山笠は聖一国師が疫病退散に行った祈祷がもとになったといわれる。また、聖一国師がうどん・そば・饅頭の製法を中国より持ち帰り、博多で初めて普及させたともいわれる。
 文化財も多数保有し、境内には石庭「洗濤庭(せんとうてい)」や「オッペケペー節」で一世を風靡した川上音二郎の墓など見どころも多い。今に伝わる博多の伝統・文化の形成において中心的な役割を果たした。

太宰府1 太宰府2 太宰府3 太宰府4 太宰府5 太宰府6 太宰府7 太宰府8 太宰府9 太宰府10 太宰府11 太宰府12 太宰府13 太宰府14 太宰府15 太宰府16 太宰府17 太宰府18 太宰府19 太宰府20
太宰府21 太宰府22 太宰府23 太宰府24 太宰府25 太宰府26


太宰府天満宮~光明禅寺~観世音寺~戒壇院

 朝いちばんで太宰府天満宮へ。この時間帯では、いずこの境内も比較的年配の方の散歩が多いところを、ここでは珍しく若い女性の姿も見かけました。やがて、札所が開いて分かりました。巫女さんだったのです。
 観世音寺の収蔵庫には立派な仏様たちが立ち並んでいます。係の人も、「京都・奈良より西ではここが一番ではないか。」と話していました。

太宰府天満宮
 菅原道真を祭る。全国の天満宮の総本社。学問の神様として、祈願の人々で賑わう。境内には天然記念物のヒロハチシャやクスの木、梅、花菖蒲があり、四季折々の風情が楽しめる。

光明禅寺
 天神様と禅宗の教えが結びついた渡宋(唐)天神の伝承により、鎌倉時代(1273年)に創建された寺。一般 には苔寺として親しまれています。苔で陸を、石を配して”光”の文字を描いた石庭があり、紅葉やシャクナゲなどが四季に彩 りをそえています。
 藤原氏の血縁である鉄牛円心和尚が鎌倉時代に建立した臨済宗の寺。太宰府天満宮の参道をのぼりつめ、右に曲がると突き当たりにある。苔寺の別名でも親しまれ、2つの庭は名園としても知られている。
 前庭は九州唯一の石庭で、15個の石を光の字に配した「仏光石庭」。裏庭は「言一滴海庭」と呼ばれるコケ庭で、青コケで大陸と島を、白砂で大海を現した枯山水の庭園。秋には紅葉が見事で、多くの人が訪れる場所である。

戒壇院
 戒壇院は天平宝字5年(761)、聖武天皇の勅願によって観世音寺に置かれた。奈良の東大寺、下野(栃木県)の薬師寺とともに、日本三戒壇の一つで、西戒壇と言われた。
 戒壇とは僧尼として守るべき戒律を授ける所。ここで戒を受けなければ正式の僧尼とは認められなかった。唐の高僧鑑真が幾多の困難の末に来日した際、立ち寄っている。本尊の盧舎那仏は平安時代末の作で、重要文化財。
 江戸時代には観世音寺から離れ、現在は禅寺となっている。境内には鑑真が請来したと伝えられる菩提樹があり、6月上旬頃の花の開花時期になると、その上品な香りに魅せられた人々が訪れる。

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柳川~福厳寺~御花~北原白秋生家~川下り見物

 御花は立派な庭園で、高い所から全景を眺められるのも珍しいかもしれません。川下りの舟がいかにも水郷・柳川らしかったです。

福厳寺
 鉄文の開山と伝える黄檗宗の寺院で、のちに柳川藩主立花家の菩提寺となった。寺には芥川賞作家長谷健と、直木賞作家壇一雄の墓がある。予約により中国風精進料理「普茶料理」を出している。

柳川藩主立花家別邸御花
 旧柳川藩主立花家の別邸。明治の後期に迎賓館としての西洋館とそれに続く和館の大広間から成る和洋折衷の邸宅を整えた。大広間の前に広がる庭「松濤園」は、樹齢200年を超える松の古木と島々に見立てた岩石を配置し荘厳な趣をもち、国の名勝にも指定されている。
 旧伯爵の居室は、料亭の個室として利用でき、立花家史料館では歴代藩主の刀剣や甲冑などの国宝や重要文化財を見ることができる。

北原白秋生家
 明治から昭和初期に活躍した近代日本を代表する詩人。北原白秋。「雨ふり(雨雨フレフレ)」、「待ちぼうけ」、「からたちの花」など聴いたら誰もが知っていて、今なお、愛される作品を数多く残した白秋は、柳川で生まれ育ちました。
 北原白秋の生家は、代々柳川藩御用達の海産物問屋でしたが、白秋の父の代になると、柳川地方でも一、二をあらそう酒造業を営むようになりました。生家は明治34年の大火で大半は焼失。母屋だけが残り、昭和44年11月に復元。現在、この生家内には白秋の著書や遺品、さらには柳川の風物にゆかりの深い資料が数多く展示されています。

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本土寺
- 2017/02/10(Fri) -
2000年11月29日
コース:松戸~北小金~本土寺~東漸寺

 関東の紅葉名刹めぐりは、飯能の次は松戸です。北小金駅の北と南にある本土寺と東漸寺を訪ねました。本土寺は五重塔もある立派な伽藍で、紅葉見物やカメラマンでにぎわっていました。東漸寺はイチョウのじゅうたんでした。こちらは静かな境内でほっとしました。松戸市観光協会の案内です。

本土寺
 もと源氏の名門平賀家の屋敷跡と伝えられ、1277年日蓮上人の弟子日朗を導師として招き開堂、日蓮上人より長谷山本土寺と寺号を授かったのが始まりとさ れており、池上の長栄山本門寺、鎌倉の長興山妙本寺とともに朗門の三長三本の本山と称される名刹です。
 現在では1万株のあじさい、5000株の花菖蒲でも有名で、「あじさい寺」とも呼ばれ参拝者に親しまれています。

東漸寺
 関東十八壇林に数えられた浄土宗の名刹で、広い境内に古木、巨木が多数残っています。中でも特に市の保護樹木にも指定されている樹齢300年以上のしだれ桜は見事で、4月25日の御忌まつりとあわせて多くの人出で賑わいます。

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能仁寺
- 2017/02/07(Tue) -
2000年11月23日
コース:飯能~能仁寺~黒山三滝

 京都の名刹に続いては、関東の名刹をおくります。はじめに毎度おなじみの能仁寺です。1年ほど前の記事:天覧山 にも登場していますが、16年前のこの時の方が紅葉が鮮やかでした。この時は庭園も拝観しました。公式サイトの案内です。

能仁寺
 創建は変転興亡の激しかった戦国時代。飯能地方の領主・中山・黒田 両家の菩提寺となり栄華をきわめました。慶応4年5月飯能戦争の本陣となり、宝物や古文書の多くを消失してしまった。この寺には、中山家勝、家範の墓と黒田家累代の墓があります。
 また、本堂北庭には昭和48年に市指定文化財となった名園「池泉鑑賞式逢庭園」があります。これは、桃山時代(1573~1615)の造園と推定されています。
(奥むさし飯能観光協会より)

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白沙村荘
- 2017/02/01(Wed) -
1999年12月3日~5日
コース:京都~洛南~洛東~大原~洛北~嵯峨野~西山

 2016年までの山行を前回の、発端丈山 でようやく公開できました。ところが、2017年に入ると、年初めの正月に低山のハイキングを1回した後、諸事情によりどこにも出かけていないのです。2月も出かけられるかどうかわかりませんので、年の代わり目にデジタル化した昔のフィルムを整理していきます。
 はじめに17年前からになります。晩秋の京都を、紅葉の名所名刹をかけあしでひとめぐりしました。寺院は多くて、どれか一つを選ぶのはむずかしいので印象に残る庭園の 白沙村荘 をタイトルとしました。

タイトルにした 白沙村荘 の案内です

 日本画家・橋本関雪が造営した「白沙村荘」と同画伯の作品およびコレクションを公開している。
 開館した美術館では、関雪の作品とあわせてスケッチや下絵の他、関雪が収集したギリシャ陶器、中国、日本の文人画などの古美術もあわせて展示している。
 また、関雪自信の設計による庭園は約10,000㎡におよび大文字山を借景として、大小の池の周囲に平安・鎌倉期の石灯籠、石仏等の石造美術など約180点が配置されている。茶室、持仏堂(重要文化財の地蔵尊菩薩立像を収めている。)もある。
(京都観光Naviより)

東福寺~南禅寺~永観堂~法然院~白沙村荘

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三千院~来迎院~古知谷阿弥陀寺~大原の里~愛染倉~社家町~上賀茂神社~大徳寺高桐院
~落柿舎~常寂光寺~二尊院~祇王寺~光明寺~善峰寺

 ここからは後半の大原以後です。この中では、苔の庭に散紅葉の祇王寺境内が別世界のようでした。

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