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角館
- 2015/01/31(Sat) -
1999年4月28日~29日

コース:角館~田沢湖~スイス村~乳頭温泉鶴の湯~黒湯温泉~孫六温泉~草彅家住宅

 岩殿山の後はどこにも出かけていませんので フィルム倉庫の在庫整理をします。

 東北地方日本海側を青森と山形に続いて秋田も訪ねました。角館は街と川沿い全体が桜に埋まるようです。枝垂れ桜が葉桜気味で、少々遅かったです。この当時は田沢湖畔に田沢湖スイス村がありました。2003年に閉鎖されています。
 この時は、人気の秘湯・鶴の湯に泊まることが一番の目的でした。300年前のかやぶき建物本陣が残り、水車もまわる、昔に戻れたかのような一晩でした。翌日は黒湯、孫六と乳頭温泉郷めぐりをして帰りました。

 鶴の湯公式サイトを編集引用します。
「鶴の湯温泉は乳頭山(1478m)の麓の乳頭温泉郷(にゅうとうおんせんきょう)の八軒のうちの一軒で同温泉郷の中でも最も古くからある温泉宿です。
 古くは寛永15年(1638年)に二代目秋田藩主 佐竹義隆が、寛文1年(1661年)に亀田岩城玄蕃が鶴の湯に湯治に訪れたといわれています。一般客相手の湯宿としての記録は元禄時代(1688~1704年)から残っています。鶴の湯の名前の由来は地元の猟師.勘助が猟の際に傷ついた鶴が湯で傷を癒すのを見つけた事がそのまま鶴の湯の名に残ったのだといいます。
 茅葺き屋根の本陣は二代目秋田藩主 佐竹義隆公が湯治に訪れた際に警護の者が詰めた建物として今では鶴の湯を代表する建物となっています。茅葺きは約6年ごとに葺き替え(ふきかえ)という作業をします 生保内下高野地区からススキを刈り 一冬越してから神代梅沢地区の茅手(かやで)と言われる職人が昔ながらの作業をします。
 また鶴の湯の半径50m以内に泉質の異なる4つの源泉が湧いています。それぞれ 白湯 黒湯 中の湯 滝の湯と源泉名がついていますが同じ敷地から効能、泉質共に異なる4つの温泉が湧く珍しい温泉場です」


角館1 角館2 角館3 角館4 角館5 角館6 角館7 角館8 角館9 角館10 角館11 角館12 角館13 角館14 角館15 角館16 角館17 角館18 角館19 角館20 角館21 角館22 角館23 角館24 角館25 角館26 角館27 角館28 角館29 角館30 角館31 角館32 角館33 角館34 角館35 角館36 角館37 角館38 角館39 角館40 角館41 角館42 角館43 角館44 角館45 角館46 角館47 角館48 角館49 角館50 角館51 角館52 角館53 角館54 角館55 角館56 角館57 角館58 角館59 角館60 角館61 角館62 角館63 角館64 角館65 角館66 角館67 角館68 角館69 角館70 角館71 角館72 角館73 角館74 角館75 角館76 角館77 角館78 角館79 角館80
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岩殿山
- 2015/01/12(Mon) -
2014年11月22日
コース:大月~丸山公園~岩殿城~兜岩~稚児落し~浅利川~大月

 2014年最後の山行は、山梨県大月市の岩殿山でした。前回元旦は岩殿山からの富士山です。山梨県と大月市による岩殿山の案内は、少しポイントがちがうので両方紹介します。

「山梨百名山大月駅の北東に鏡岩の大岩壁をみせる礫石の岩山。山頂付近の展望台からは柱川を隔て、富土山や三ツ峠山を望むことができる。4月上旬頃は桜が咲き、富士山の秀麗さと良く合う。郡内領主小山田氏の要害堅固な山城があったところである。」
富士の国やまなし観光ネットより

「大月市のシンボルである岩殿山。正面に見える岩は、鏡岩と言い幅が約150mあると言われています。また、標高は634mと、東京スカイツリーと同じ高さのムサシです。山梨百名山に指定されています。」
大月市より

 と、スカイツリーと同じだそうです。大月市の公式ブログを見ますと、この日11月22日は いい夫婦の日 ということもあってか、取材に来ていました。高尾山でも使った「快速富士山1号」は便利で、今回は大月まで足を伸ばしました。富士山の見えるポイントを通るたびに、ヨコで撮ったりタテで撮ったりで、いつも以上に同じような写真の山になってしまいました。
 今回のコースは岩殿城までの前半は主に富士山の眺望で、兜岩から稚児落しの後半は鎖場もあって登山らしくなります。富士山は昼ころにはしだいに逆光で霞みますので、この1周コースをまわるには、時計と反対回りがいいですね。岩殿城などについては写真の看板をごらんください。

岩殿山137

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風布の里
- 2015/01/01(Thu) -
あけましておめでとうございます。

新しい年を迎え今年は私たち登山者が遭難や噴火にあうことなく、安全無事な登山ができますよう祈念いたします。
昨年はご来訪をありがとうございました。本年もよろしくお願い申し上げます。

                                               2015年元旦  管理人・ふさじろう

風布155


風布の里

2014年11月16日
コース:波久礼~夫婦滝~風のみち~日本の里~中間平~みかん山~玉淀湖~長瀞舟下り

 昨年秋に埼玉県寄居町の風布の里を訪ねました。寄居や風布には 日本百名山 こそありませんが、数々の 日本百選 があり、また歴史や地名の由緒も大変興味深い所です。百選から紹介します。

水の郷百選・・・寄居町
 荒川上流の伝承とまつりのまちとして寄居町が選ばれました。

日本100名城・・・鉢形城
 鉢形城は戦国時代には小田原北条氏の北関東支配の拠点として北条氏邦が入城。関東へ進攻した武田信玄や上杉謙信とも戦っています。戦国末期には豊臣秀吉の大軍に対して1ヶ月籠城戦をした後についに開城となりました。国史跡に指定されています。

日本名水百選・・・日本水(やまとみず)
 釜伏山北面の百畳敷岩から湧出。古来から涸れたことがなく水源には「日本水大神」が祀られています。 日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折、戦勝を祈願して釜伏山中腹の「百畳敷岩」と呼ばれる大岩壁に剣を突き刺したところ、たちまち湧き出し、水の冷たさに一杯しか飲めなかったとの伝説から「一杯水」の別名があります。日本水が流下し、他の川と合流し風布川となります。

水源の森百選・・・日本水の森
 釜伏山北麓周辺に広がる森林を、日本水の森として選定。

にほんの里100選・・・風布
 「山に囲まれた丘陵地。温暖で、ミカン栽培は400年を超す歴史を誇る。風布川にはサンショウウオが生息。年中花が咲く桃源郷。」として選ばれました。名水の里のシンボルゾーンとして 「日本の里」 が整備されています。

百選以外の歴史や由緒をコースに沿って紹介します。

寄居
 寄居 の由来は 新編武蔵風土記 には、「鉢形城落城の後、甲州の侍、小田原の浪士などより集まりて居住せし故の名なり」と記されていて、この説が有力です。他には、中世の城郭の周辺のことだという説や、領主の下に農民たちが集まった集落のことだともいわれています。

波久礼(はぐれ)
 秩父鉄道の波久礼駅から歩き始めました。波久礼のいわれは諸説あります。このあたりは急斜面のがけが多くて 崩れる から 端崩 や 破崩 とされ、荒川の波立つさまで、波 の字が使われるようになったという説が一番有力だそうです。石灰やセメントの運搬でしょうか秩父鉄道は貨物列車をよく見かけます。この日はSLも走っていました。

風布(ふうぷ)
 美しい地名です。山に囲まれた地形から霧がよく発生し、風が吹くと霧が山の中腹を布のように覆いつくすことから地名になったそうです。 アイヌ語の「ぷ」(山・倉)に由来し、「風の山」の意とする説もあります。

みかん山
 天正年間に鉢形城主であった北条氏邦が小田原からみかんを移植したのが始まりといわれています。風布・小林地区は四方を山に囲まれ、低地よりも高い所の方が暖かいという盆地特有の気温の逆転現象を生かした、日本のみかん産地の北限になります。

秩父事件
 風布の歴史上の大きな出来事として、古代では日本武尊東征の日本水、戦国時代では北条氏とみかん、ですが、明治時代にも大きな出来事がありました。「秩父困民党事件」通称「秩父事件」です。
「秩父事件概要
1884年(明治17年)秩父地方の農民による大規模な武装蜂起事件。当時の不況に苦しんだ農民が、困民党を結成して蜂起。負債の減免や地租軽減などを要求して郡役所・警察・高利貸しなどを襲撃。10日にわたる抵抗ののち、警官隊と軍隊により鎮圧された。」
 みかん山コースの途中に、金毘羅(琴平)神社があります。ここで当時、風布村と金尾村を中心とする農民たちが刀や鉄砲・竹槍などを手にして集まり、下吉田の決起集会に向けて出発しました。秩父事件の事実上の始まりの舞台となりました。今では事件の顕彰碑や観音さまが祀られています。
 なぜこの静かな山里から蜂起に参加したのでしょうか? ここは水田を作れない急峻な山の中腹です。人々は桑を植えて、養蚕を生業にしていました。その生糸の価格が暴落して生活が困窮し、生きていく道がありませんでした。そのため困民党の中でも風布組は最も精強な戦士となり、戦死者も多く出てしまいました。
 事件には後日談があります。風布村困民党の組織者として活躍した大野福次郎は、事前に警官隊に逮捕され蜂起には参加できませんでした。その後釈放され風布に戻った後は、戦死した仲間の残された家族を思い、それらの家の畑仕事を自分の子供達に手伝わせました。自らの畑は夜になってから月明かりで耕したといいます。

 歴史をしのびながらも、みかん山ではみかん狩り、長瀞では舟下りと、しっかり観光もして帰りました。

風布1 風布2 風布3 風布4 風布5 風布6 風布7 風布8 風布9 風布10 風布11 風布12 風布13 風布14 風布15 風布16 風布17 風布18 風布19 風布20 風布21 風布22 風布23 風布24 風布25 風布26 風布27 風布28 風布29 風布30 風布31 風布32 風布33 風布34 風布35 風布36 風布37 風布38 風布39 風布40 風布41 風布42 風布43 風布44 風布45 風布46 風布47 風布48 風布49 風布50 風布51 風布52 風布53 風布54 風布55 風布56 風布57 風布58 風布59 風布60 風布61 風布62 風布63 風布64 風布65 風布66 風布67 風布68 風布69 風布70 風布71 風布72 風布73 風布74 風布75 風布76 風布77 風布78 風布79 風布80 風布81 風布82 風布83 風布84 風布85 風布86 風布87 風布88 風布89 風布90 風布91 風布92 風布93 風布94 風布95 風布96 風布97 風布98 風布99 風布100
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