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斑鳩
- 2017/08/09(Wed) -
2008年7月19日~20日

 奈良県内、というよりも、大和の国 が続きます。蓮の喜光寺から、あじさいの矢田寺まで、奈良盆地北西部の名刹を参拝しました。吉田寺、法起寺、法輪寺の3ヶ寺を巡りました 斑鳩 をタイトルにしました。

 この後、当ブログも夏休みをいただきまして、更新はお盆明けころを予定しています。


7月19日 奈良~喜光寺~西大寺~秋篠寺~大安寺

喜光寺
 東大寺大仏建立の勧進で有名な行基が創建。喜光寺の本堂を参考に大仏殿は建てられたとも伝えられ、本堂は「試みの大仏殿」と呼ばれる。 創建当初は菅原道真の生誕地と伝わる菅原の里にあることから「菅原寺」と呼ばれていた。聖武天皇が参詣した際に当寺の本尊より不思議な光明が放たれ、これを見た天皇が喜んで、「菅原寺」を改めて「喜光寺」としたという。

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西大寺
 765年に称徳天皇の勅願により創建。寺名は平城京の東の東大寺に対するもので、創建時は南都七大寺の1つとして壮大な伽藍を誇った。恵美押勝の乱平定を祈願して孝謙上皇(称徳天皇)が造立した金銅四天王像が安置されている。国宝、重文多数。

秋篠寺
 780年頃、光仁天皇の勅願によって建立された奈良時代最後の官寺。平城京西北の秋篠の地に建てられたため秋篠寺と呼ばれる。本堂に安置されている25体の仏像の中でも特に有名なのが伎芸天で、諸技諸芸の守護神として多くの芸術家や芸能人らに慕われている。
 平成2年のご結婚式後、礼宮さまは歴史ある皇室ゆかりの地名に因んだ「秋篠宮」の宮号を賜りました。その後、長男、悠仁さま誕生の際も賑わったそうです。

大安寺
 聖徳太子が建てた熊凝精舎が草創。藤原京では百済大寺、大官大寺となり奈良時代に大安寺となった。南都七大寺の1つで、東西2基の七重塔をはじめとする大伽藍を有し、東大寺、興福寺と並ぶ大寺院で、南大寺とも呼ばれた。大安寺様式といわれる9体(重文)の天平仏が安置されている。

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7月20日 百済寺~吉田寺~法起寺~法輪寺~松尾寺~矢田寺

百済寺
 聖徳太子が創建した熊凝精舎を継いで、舒明天皇が639年に百済大寺を創建したと伝えられる。本堂、中之坊、三重塔が残る。三重塔は重文。本堂は大織冠(たいしょくかん)と呼ばれ、談山神社の本殿を移築したものと伝えられている。

吉田寺
 創始は天智天皇の勅願と伝えられ、987年に恵心僧都源信が創建。恵心僧都が母の臨終に際し、祈願をした衣服を着せかけるとなんの苦しみもなく往生をしたことから、別名「ぽっくり寺」ともいわれる。本尊の阿弥陀坐像は丈六の金色、木造で奈良県下最大。千体仏の光背を持っており、重文。

法起寺
 聖徳太子建立七大寺の一つに数えられ、現在では「法隆寺地域の仏教建造物」の一部として世界遺産に登録されている。太子が法華経を講じた「岡本宮」の跡地と言われ、太子の遺言により山背大兄王が岡本宮を寺に改めたのが法起寺の始まりとされる。高さ24mの三重塔は日本最古、最大で国宝。

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法輪寺
 622年に山背大兄王が、父聖徳太子の病気平癒を願って建立。法隆寺式伽藍配置をとり、七堂伽藍を完備していたが、創建当時の建物はない。法隆寺、法起寺とともに斑鳩三塔として美しさを讃えられた三重塔は1944年に雷火で焼失し、1975年に昔ながらの工法で再建された。講堂には重文の飛鳥仏、平安仏が安置されている。

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松尾寺
 718年天武天皇の皇子舎人親王が元正天皇の命を受けた『日本書紀』編纂の完成と自身の42歳の厄除けを祈願して創建したと伝えられる。また、養老年間に鎮守として勧進された松尾大明神を祀る松尾山神社が境内にある神仏習合の古刹。江戸時代から日本最古の厄除け観音として民間信仰を集め、現在でも厄除けのための参詣が多い。修験道との関係も深く、各種修行の道場でもある。

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矢田寺
 今から約1300年前、天武天皇が壬申の乱の戦勝祈願を矢田山で行い、即位後伽藍を造営したのが始まり。矢田の里にあるため一般には矢田寺と呼ばれているが正式には金剛山寺(こんごうせんじ)。地蔵信仰の寺で日本最古の延命地蔵菩薩が安置される。アジサイの寺としても有名。

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大宇陀
- 2017/08/06(Sun) -
2006年7月16日
コース:橿原~大宇陀~大願寺~大蔵寺~青蓮寺~宇太水分神社~仏隆寺

 昔の関西名刹めぐりの画像整理がまだ続きます。
 奈良盆地の東側は三重県境まで宇陀市内の穏やかな里山が広がります。そこには由緒や歴史を秘めた古社古刹が点在していまして訪ねました。大願寺や大蔵寺のある大宇陀からスタートして、タイトルにしました。宇陀市と観光協会の案内を編集します。

大願寺
 宇陀松山城主織田信武建立の毘沙門堂もさることながら、境内にある仏足石が希少といわれる大願寺。打ち水された仏足石は造形的にも美しく、思わず手で図案をなぞってみたくなる衝動に駆られる。当寺は真言宗御室派で本尊十一面観音菩薩像は神亀元年(724年)、徳道上人の作といわれ、創建は古く推古時代と伝えられている。

大蔵寺
 用明天皇(人皇31代目)の叡願による聖徳太子の開基とされ、のちに弘法大師が入山して真言宗の道場とした。平安時代に嵯峨天皇の臨幸があり、大蔵寺の勅額を賜い、勅願寺とした。中世18箇院の末寺を持ち、慶長6年には寺領550石を加えられた。近世になってやや衰えたが、山内六坊を有していた。
 本堂・御影堂は鎌倉時代の建築で、本尊の薬師如来立像は一木づくりの立木仏でそれぞれ国の重要文化財の指定を受けている。つつじや紅葉の名所でもあり、ホトトギスなどの野鳥の宝庫でもある。観光客は受け入れていない。

青蓮寺
 日張山の中腹にひっそりとたたずむ浄土宗の尼寺。建立以来1200年の間このままの姿ではなかったろうかと思われる周囲の景観。奈良朝の時代、右大臣藤原豊成公の娘中将姫にまつわる、哀れにもゆかしい物語を今日に伝え、父との不思議な再会から、この寺を別名「再会寺」と呼び、逢いたい人と夢叶う寺としても人々から親しまれている。

宇太水分神社
 国宝重要文化財。緑濃い木立の中に速秋津比古神、天水分神、国水分神の水分三座が祀られています。社伝では、崇神天皇の時代にはじまるといわれ、縁起では、大和国宇陀郡の水分大明神は天照大神の分神で、垂仁天皇の時代に神託によって社殿をかまえたと伝えている。
 本殿は、連棟社殿で中央と左右の三殿からなる一間社隅木入春日造り(国宝)水分連結造りの古型で、外部は朱塗り。蟇股など細部に鎌倉時代の特徴をみることができます。

仏隆寺
 嘉祥3(850)年、弘法大師(空海)の高弟堅恵によって創建され、本尊は十一面観音菩薩立像で聖徳太子の作と言われる。七堂伽藍の立派なお寺で、室生寺の南門、すなわち正面の門として極寺と末寺の関係にあり、室生寺の宿坊または住職の隠居寺として重要な役目があった。

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当麻寺
- 2017/07/31(Mon) -
2004年7月28日
コース:奈良~葛城~当麻寺~西南院~奥院~中之坊

 京都鞍馬山の後は、奈良県当麻寺に足を延ばしました。当麻寺は、真言宗、浄土宗の2宗が並立する珍しい古刹です。伝説、行事、文化財などにも興味深いものがあり、前からお参りしたかった所です。
 二上山の麓に静かなたたずまいで境内が広がります。古代からの2基の塔が残るのは、日本で唯一のお寺になります。東塔と西塔とは、比叡山のようでした。

当麻寺
 當麻寺は、612年に用明天皇の第3皇子麻呂子王が河内国に建てた万法蔵院に始まり、その後、麻呂子王の孫當麻真人国見が役行者ゆかりの現在地に移したものといわれます。681年に弥勒仏を本尊として金堂が創建され、以後、講堂・千手堂(現・曼荼羅堂)・東西両塔などの諸堂宇と、中院(現・中之坊)をはじめとする塔頭寺院が順次完成していきました。
 創建当初は三論宗を奉じる学問寺院でありましたが、823年(弘仁14年)に空海が当寺に参籠してから真言宗となり、當麻曼荼羅を中心として修法・観想・祈祷などの仏道実践を重んじる密教寺院に転化した。この當麻曼荼羅は中将姫が一夜で織りなした伝説とともに全国的に広まり、多くの参詣者を迎えて浄土信仰の霊場として栄えた。
 この浄土信仰の高まりによって、南北朝時代には京都知恩院が當麻寺境内地に往生院(現・奥院)を建立することになり、後に浄土宗が参入する契機となりました。この結果、現在は真言宗と浄土宗の併立となっています。
 平安後期に一時興福寺の末寺となったため、1180年(治承4年)、平家の南都攻めの際に標的となり、金堂が大破、講堂は焼失してしまったが、間もなく源頼朝が施主になって再興し、貴重な寺宝を現代に数多く伝えられることとなりました。
 境内には、国宝指定の本堂(曼荼羅堂)・東塔・西塔、国の重要文化財指定の金堂・講堂はじめ、大師堂・薬師堂・仁王門・鐘楼などが、独自の伽藍配置で立ち並び、金堂の弥勒仏坐像(国宝)、四天王像(重文)をはじめとして、多くの貴重な文化財を伝えています。また塔頭寺院も13を数え、倶利伽藍龍蒔絵経箱(国宝)、中之坊庭園(名勝・史跡)など、それぞれに貴重な寺宝を数多く伝えています。
(葛城市公式サイトより)

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吉野山
- 2017/03/10(Fri) -
2003年10月31日~11月3日
コース:奈良~斑鳩~吉野山~初瀬~多武峰~室生

 夏の高野山に続いては、秋の吉野山を訪ねました。せっかくなので奈良県内の名社名刹も何カ所か参拝してきました。今、振り返ると、この時は、「法隆寺地域の仏教建造物」、「古都奈良の文化財」、「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産の3カ所を巡る旅にもなりました。
 タイトルにした吉野山は日本の歴史が凝縮しています。吉野町公式サイトを編集しました。

 花の吉野は、豊かな歴史や伝承で彩られています。古代においては何と言っても、大海人皇子(後の天武天皇)が吉野に潜行され壬申の乱で兵を挙げられたことは有名です。時代が下ると源義経が兄頼朝の追捕を逃れて、愛妾静や弁慶などを伴って吉野に入りました。しばしの安らぎも束の間、吉野から逃れる際に別れざるを得なかった義経・静の悲恋の物語が残っています。
 さらに時代が下ると大塔宮護良親王が鎌倉幕府倒幕のために、河内の楠木正成と呼応して吉野を城塞化され、兵を挙げられます。また、建武の新政の夢破れられた後醍醐天皇が、吉野に朝廷を開かれたことは太平記に詳しく記されています。南朝四帝が吉野の地を頼みとされ、京都奪回のためにこの地から全国に号令を発せられたのです。この願いは遂に実現しませんでしたが、忠僧宗信法印をはじめ当時の吉野の人々は、我が身を顧みず終始、南朝のために尽くしたのです。
 このように吉野は中央で居所を失った人々、所謂アウトサイダー達が再起を図る場所といっても良いでしょう。その都度、吉野は戦場と化し、多くの命が失われ、悲しい別れが幾度と無く繰り返されたのです。後に、太閤秀吉が5000人の家来を引き連れて大花見を行ったという記録もありますが、吉野は、そのような晴れがましい歴史より、哀しい歴史に思いを馳せたくなるような土地柄なのです。

10月31日~11月1日 法隆寺~薬師寺~平城京~西行庵~竹林院~如意輪寺~金峯山寺

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11月2日~3日 長谷寺~談山神社~長岳寺~室生寺

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大台ヶ原山
- 2013/03/24(Sun) -
2012年9月15日~16日
コース:橿原~大台ケ原山~天河弁財天~面不動鍾乳洞~龍泉寺~五代松鍾乳洞~壷阪寺

 たまには関西の山へもと思い立ったが吉日で、大台ケ原山へ向かいました。青空の下を歩き出しましたが、最高峰の日出ヶ岳を過ぎるあたりから急に天候があやしくなり、ついには夕立となりました。前の年の紀伊半島豪雨もあったように、雨の強さが半端ではありません。やっとの思いで撤退しました。
 翌日も天気がはっきりしなくて、それならば屋根があるアウトドアへと、山岳部から探検部へ転部して、関西最大の面不動鍾乳洞や、ヘルメットが必要な五代松鍾乳洞の探検となりました。さらには名社名刹の宝庫ですので、西国三十三観音など神社仏閣の参拝もできました。バラエティに富んだ山旅でした。

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曽爾高原
- 2010/08/17(Tue) -
2006年7月16日
コース:名張~鎧岳~曽爾高原往復
急峻な鎧岳・兜岳と、平坦なススキの高原が対照的でした。

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