2017 07 ≪  08月 12345678910111213141516171819202122232425262728293031  ≫ 2017 09
勝尾寺
- 2017/03/22(Wed) -
2009年11月23日
コース:大阪~箕面~勝尾寺~箕面滝~瀧安寺~西江寺~京都へ

 大阪府南部の旧国名では河内の国を後にして、今回は北部の摂津の国からおくります。紅葉がすばらしい箕面川沿いを、西国三十三観音の勝尾寺や、日本の滝百選の箕面滝などを訪ねました。

 写真はありませんが、この箕面行きでもっとも感動したのは、初めての阪急梅田駅構内ホームと阪急電車でした。改札を通ると、始発の路線が横に何列もあって、同色の列車が何台も並んでいました。こういう風景は首都圏のターミナルでは見かけなくて、外国映画に出てくるヨーロッパの駅を連想しました。
 停車中の阪急電車はいずれもシックなあずき色一色に統一されていて、日ごろ見かける鮮やかな2色以上使った関東周辺の車両とは違い、歴史と伝統を感じさせる色合いです。昔々の東武電車に似たようなこげ茶一色があったのを思い出しました。
 さらにはその並んだ列車が、0時0分ちょうどに3台が一斉に出発したのです。これも見かけない光景で、驚きました。アメフトのショットガンフォーメーションのようでした。

勝尾寺
 775年、光仁天皇の子開成皇子は大般若経の書写を完成し、この地に堂を建てて経を納め、この寺を「弥勒寺」と命名した。
 その後、行巡上人の代に、清和天皇の病気治癒の祈祷を行い、天皇の病が癒えたことから、寺の法力が王に勝ったということで、天皇が「弥勒寺」を「勝王寺」に改名したという。しかし、寺側はあまりにも畏れ多いとして、「王」を「尾」に変え「勝尾寺」としたと伝えられている。
 以来、源氏、足利氏など諸将軍が勝運を祈願したところから、勝運信仰の寺として名をとどめることになった。西国三十三観音第23番。

勝尾寺1 勝尾寺2 勝尾寺3 勝尾寺4 勝尾寺5 勝尾寺6 勝尾寺7 勝尾寺8 勝尾寺9 勝尾寺10 勝尾寺11 勝尾寺12 勝尾寺13 勝尾寺14 勝尾寺15 勝尾寺16 勝尾寺17 勝尾寺18 勝尾寺19 勝尾寺20 勝尾寺21 勝尾寺22 勝尾寺23 勝尾寺24 勝尾寺25 勝尾寺26 勝尾寺27 勝尾寺28 勝尾寺29 勝尾寺30 勝尾寺31 勝尾寺32 勝尾寺33 勝尾寺34 勝尾寺35 勝尾寺36 勝尾寺37 勝尾寺38 勝尾寺39 勝尾寺40 勝尾寺41 勝尾寺42 勝尾寺43 勝尾寺44 勝尾寺45 勝尾寺46 勝尾寺47 勝尾寺48 勝尾寺49 勝尾寺50 勝尾寺51 勝尾寺52
勝尾寺53 勝尾寺54 勝尾寺55 勝尾寺56 勝尾寺57 勝尾寺58 勝尾寺59 勝尾寺60 勝尾寺61 勝尾寺62 勝尾寺63 勝尾寺64 勝尾寺65 勝尾寺66 勝尾寺67 勝尾寺68 勝尾寺69 勝尾寺70 勝尾寺71 勝尾寺72 勝尾寺73 勝尾寺74 勝尾寺75 勝尾寺76

瀧安寺
 658年、役行者により開かれる。役行者は箕面の滝で修行中に、龍樹菩薩より法を授けられ、滝の下で不動明王と弁財天の像を刻んで堂宇に安置し、「箕面寺」と命名したのが始まり。本尊の弁財天は竹生島、江ノ島、厳島と並ぶ日本四ヶ所弁財天の1つ。
 弁財天を祀っている所から、芸能の寺としても知られ、近松門左衛門ら上方歌舞伎関係者が大般若経を奉納している。また、宝くじの発祥である富くじを、天正年間に日本で初めて始めた寺院でもある。

西江寺
 658年、役行者によって開かれた。ある日、光の中から老翁に化身した大聖歓喜天が現れ、役行者はこの箕面山を日本最初の歓喜天霊場としたという。本堂には役行者作と伝承する大聖歓喜天像と、室町時代作と伝えられる大黒天も祀られている。
 かつては、摂津国神宮寺と称したが、明治時代末期に聖天宮西江寺と改称した。「みのおの聖天さん」と呼ばれ親しまれている。

勝尾寺77 勝尾寺78 勝尾寺79 勝尾寺80 勝尾寺81 勝尾寺82 勝尾寺83 勝尾寺84 勝尾寺85 勝尾寺86 勝尾寺87 勝尾寺88 勝尾寺89 勝尾寺90 勝尾寺91 勝尾寺92 勝尾寺93 勝尾寺94 勝尾寺95 勝尾寺96 勝尾寺97 勝尾寺98 勝尾寺99 勝尾寺100 勝尾寺101 勝尾寺102 勝尾寺103 勝尾寺104
勝尾寺105 勝尾寺106 勝尾寺107 勝尾寺108 勝尾寺109 勝尾寺110 勝尾寺111 勝尾寺112 勝尾寺113 勝尾寺114 勝尾寺115 勝尾寺116 勝尾寺117 勝尾寺118 勝尾寺119 勝尾寺120 勝尾寺121 勝尾寺122 勝尾寺123 勝尾寺124 勝尾寺125 勝尾寺126 勝尾寺127 勝尾寺128 勝尾寺129 勝尾寺130 勝尾寺131 勝尾寺132 勝尾寺133 勝尾寺134
この記事のURL | 大阪の旅 | CM(4) | ▲ top
観心寺
- 2017/03/16(Thu) -
2009年11月21日~22日
コース:大阪~河内~金剛寺~施福寺~延命寺~観心寺~楠妣庵~弘川寺

 フィルムを整理して、京都、滋賀、和歌山、奈良と関西各府県を編集してきました。それならばとデジカメからですが、大阪府の寺々もまとめます。京都奈良と隣接していて、立派な伽藍ぞろいでした。はじめに大阪府南部の河内地方を歩きました。西国三十三観音や楠木正成ゆかりの名刹などを巡りました。

金剛寺
 真言宗御室派の大本山。山号は天野山。聖武天皇の勅願により行基が開基。空海も修行をしたと伝わる。後白河法皇の妹、八条女院が弘法大師像を安置し、女性が仏縁を結ぶ霊場として「女人高野」と呼ばれる。
 南北朝時代には南朝方の勅願寺とされ後村上天皇の行在所となった。時期により北朝方の行在所ともなった。吉川英治著「宮本武蔵」に天野村にあるお寺として登場。かつて坊舎では地酒「天野酒」を醸造し、豊臣秀吉も賞味したという。

観心寺1 観心寺2 観心寺3 観心寺4 観心寺5 観心寺6 観心寺7 観心寺8 観心寺9 観心寺10 観心寺11 観心寺12 観心寺13 観心寺14 観心寺15 観心寺16 観心寺17 観心寺18 観心寺19 観心寺20 観心寺21 観心寺22 観心寺23 観心寺24 観心寺25 観心寺26 観心寺27 観心寺28 観心寺29 観心寺30 観心寺31 観心寺32
観心寺33 観心寺34 観心寺35 観心寺36 観心寺37 観心寺38 観心寺39 観心寺40 観心寺41 観心寺42 観心寺43 観心寺44

施福寺
 山号は槇尾山。槇尾寺とも呼ばれる。550年頃欽明天皇の時代に開創。役行者が法華経の巻々を葛城山の各所に埋納し、最後に埋めたのがこの山のため巻尾山(槇尾山)と名づけられたとする地名伝承がある。その後行基がここで修行し、空海も剃髪得度したと伝わる。
 西国霊場を再興した花山法皇が、粉河寺から施福寺に向かったとき、道に迷って困っていると、馬が現れ花山法皇を道案内したという伝説があり、境内に観音馬像がある。西国三十三観音第4番。

観心寺45 観心寺46 観心寺47 観心寺48 観心寺49 観心寺50 観心寺51 観心寺52 観心寺53 観心寺54 観心寺55 観心寺56
観心寺57 観心寺58 観心寺59 観心寺60 観心寺61 観心寺62

延命寺
 弘仁年間(810年~824年)に、弘法大師が地蔵菩薩を刻んで安置したのが起源と伝えられる。延命寺周辺は昔、 鬼住村と呼ばれる鬼伝説があり、勇敢な男が弓矢を武器に鬼を退治したという。その後、延命寺として中興した浄厳はこの勇敢な男の子孫だといわれる。樹齢1000年の「夕照もみじ」は大阪府天然記念物に指定。

観心寺63 観心寺64 観心寺65 観心寺66 観心寺67 観心寺68 観心寺69 観心寺70 観心寺71 観心寺72 観心寺73 観心寺74 観心寺75 観心寺76 観心寺77 観心寺78
観心寺79 観心寺80 観心寺81 観心寺82 観心寺83 観心寺84

観心寺
 701年、役行者によって開かれ、後に弘法大師空海が真言宗の道場とした。以後観心寺は高野山と奈良・京都の中継地として発展。本尊如意輪観音菩薩は平安時代密教美術最高の仏像といわれる国宝の秘仏。金堂も大阪府下最古の国宝建造物。境内には道興大師の墓、楠木正成の墓、後村上天皇の御陵などがある。関西花の寺第25番。

観心寺85 観心寺86 観心寺87 観心寺88 観心寺89 観心寺90 観心寺91 観心寺92 観心寺93 観心寺94 観心寺95 観心寺96 観心寺97 観心寺98 観心寺99 観心寺100 観心寺101 観心寺102 観心寺103 観心寺104 観心寺105 観心寺106 観心寺107 観心寺108 観心寺109 観心寺110 観心寺111 観心寺112 観心寺113 観心寺114 観心寺115 観心寺116 観心寺117 観心寺118 観心寺119 観心寺120 観心寺121 観心寺122 観心寺123 観心寺124 観心寺125 観心寺126 観心寺127 観心寺128 観心寺129 観心寺130 観心寺131 観心寺132 観心寺133 観心寺134 観心寺135 観心寺136 観心寺137 観心寺138 観心寺139 観心寺140
観心寺141 観心寺142 観心寺143 観心寺144 観心寺145 観心寺146 観心寺147 観心寺148 観心寺149 観心寺150 観心寺151 観心寺152 観心寺153 観心寺154 観心寺155 観心寺156 観心寺157 観心寺158

楠妣庵
 楠妣庵観音寺。楠木正成の嫡男、楠木正行が後醍醐天皇を悼み、峰篠山の一角に一殿を建て、天皇の念持仏であった千手観音を奉安した峰篠山観音殿に始まる。
 正成の妻で正行の母である久子は、夫と息子の戦死後に出家して「敗鏡尼」と名乗り、観音殿と同じ地に楠妣庵と称された草庵を結び隠棲して菩提を弔った。正行の弟正儀が敗鏡尼の没後に「観音寺」と改めて、一族の菩提寺とした。

弘川寺
 665年、役行者によって開かれた葛城6坊の1つ。その後677年に、天武天皇の請雨祈願をはたしたことから勅願寺となった。737年には行基が当寺で修行し、812年には嵯峨天皇の命を受けた弘法大師空海が中興した。
 1188年に当寺の座主空寂上人は、後鳥羽天皇の病回復祈願の功によって、奥の院「善成寺」を建て、寺号の勅額を賜わっている。翌1189年西行法師が空寂上人の法徳を慕って来住し、翌年、この寺で亡くなっている。

観心寺159 観心寺160 観心寺161 観心寺162 観心寺163 観心寺164 観心寺165 観心寺166 観心寺167 観心寺168 観心寺169 観心寺170 観心寺171 観心寺172 観心寺173 観心寺174 観心寺175 観心寺176 観心寺177 観心寺178 観心寺179 観心寺180 観心寺181 観心寺182
観心寺183 観心寺184 観心寺185 観心寺186 観心寺187 観心寺188
この記事のURL | 大阪の旅 | CM(4) | ▲ top
| メイン |