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水城
- 2020/03/29(Sun) -
2020年2月23日
コース:大野城~水城東門~水城西門

 大野城から水城へ下り見学しました。白村江の敗戦後、唐と新羅の攻撃に備えて大宰府を防衛するため、山間部には大野城などが、平野部には水城が築かれました。当時の「日本書紀」に、「・・筑紫国に大堤(おおつつみ)を築き水を貯へ、名づけて水城(みずき)と曰う」と、記載されています。
 水城は全長約1.2キロメートル×高さ9メートル×基底部の幅約80メートルの、土塁のような城壁のような城です。さながら日本版の「万里の長城」のようでした。現在ならばスーパー堤防として建設できそうですが、当時の人力でこれだけの大土木工事をできたのは驚きでした。
 国の特別史跡や続日本百名城に認定されています。また宇宙では、水城を由来とした、小惑星「Mizuki」が命名されています。

水城25

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大野城
- 2020/03/26(Thu) -
2020年2月23日
コース:大宰府~大野城~県民の森~礎石群~小石垣~百間石垣

 大宰府から大野城に登りました。大野城は文献に残る日本最古のお城です。日本百名城の中でも、吉野ケ里遺跡を別格大本山として、次に歴史があるでしょうか。663年の白村江の戦いの後、唐・新羅連合軍の進攻から大宰府を防衛するため、築かれました。長さが100間あるため名づけられた、百間石垣は見ごたえがありました。

大野城51

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太宰府天満宮
- 2020/03/22(Sun) -
2020年2月23日
コース:岩国~福岡~大宰府~天満宮

 下関から関門橋を渡って九州に入り、翌日は太宰府天満宮を参拝しました。この日2月23日は今上陛下令和天皇の誕生日でした。新元号「令和」は、太宰府で開かれた梅花の宴で収録された、万葉集の序文が典拠となっています。令和時代初の天皇誕生日を迎えた歴史的な日と地だからでしょうか、天満宮では祝賀の神事が行われていました。参拝者一同も一緒にお祝いできまして、感動の日になりました。

天満宮113

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筥崎宮
- 2019/05/24(Fri) -
2019年4月14日
コース:博多~箱崎~筥崎宮

 この春は武蔵国一宮、大宮の氷川神社を桜の季節に訪れたばかりのところを、一宮にご縁があって今回は、筑前国一宮、筥崎宮を参拝いたしました。筥崎宮は八幡宮で、京都・石清水八幡宮、大分・宇佐八幡宮とともに日本三大八幡宮のひとつです。
 鎌倉時代の元寇の際には、亀山上皇が敵国降伏を祈願して、蒙古の大軍を退けたことから、厄除け、勝ち運の神として、足利尊氏や豊臣秀吉など名だたる武将も参詣しています。現代も福岡ソフトバンクホークスなどのスポーツチームの戦勝祈願がよく行われています。
 触れると運が湧き出るといわれている、湧出石 などのパワースポットも境内にあります。写真はできるだけ参拝者を写さないようにしましたが、この日も新入社員がそろっての祈願に訪れたり、結婚式やお宮参りなどもあって、にぎわっていました。

筥崎宮25

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小倉城
- 2019/05/18(Sat) -
2019年4月13日
コース:小倉~小倉城

 福岡から、九州のてっぺんであり玄関口の、北九州へ周りました。小倉城は戦国時代に毛利氏がこの地に城を築いたことから始まりました。その後、関ヶ原合戦の功労により、細川忠興(正室は細川ガラシャ夫人)によって、「唐造り」の名城、小倉城が完成しました。
 細川氏が肥後に移封された後には、小笠原氏が領主となりました。礼法や弓道で名高い小笠原流の一族です。また宮本武蔵も仕えていました。幕末には小倉藩は幕府側として長州藩と一戦し、長州側の攻勢により、小倉城は焼失してしまいました。
 現在の天守は昭和に再建されたものです。続日本百名城に選ばれています。

小倉城55

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福岡城
- 2019/05/15(Wed) -
2019年4月12日
コース:博多~舞鶴公園~福岡城

 4月中旬に九州へ出かける機会がありました。折しも関東でお城巡りをしていたので、名城が多い九州北部を、東へ西へと周ってきました。何回かに分けておくります。
 初めに、九州の首都、福岡から福岡城です。軍師官兵衛 でおなじみの黒田孝高の子、黒田長政が関ヶ原の戦いの功績によって、筑前国に移封されて築城しました。その際、黒田家ゆかりの地、備前国福岡にちなみ、地名を 福岡 と、改めました。城の規模としては九州一の巨城で、築城の名手、加藤清正からも評価されました。
 実際に歩いてみると、4月中旬になっても桜が意外と残り、また場所柄からかアジアからのお客さんが多くて、中でも女性は着物で花見を楽しんでいました。

福岡城71

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太宰府
- 2017/02/13(Mon) -
2001年9月16日~17日
コース:福岡~太宰府~柳川~熊本へ

関東に続いては九州の名刹です。福岡から熊本を訪ねました。2回に分けておくります。

博多~東長寺~聖福寺~承天寺

 博多駅の近くには寺町のような一角があり、ここから日本の文化や仏教に関係し影響を与えたお寺が多数ありました。
 東長寺は空海が建立した中では日本最古の寺で、日本最大の木造座像の、福岡大仏 が鎮座しています。
 聖福寺は中国で禅宗を学んだ栄西が開いた日本最古の禅寺です。喫茶の習慣を日本に伝えたため、お茶の発祥地としても有名です。
 承天寺を開いた聖一国師が中国から帰国した際に製粉の技術を持ち帰り、ここから、うどん、そば、まんじゅうなどの粉物食文化が広がりました。
 各所の案内は 福岡県観光情報クロスロードふくおか によります。

東長寺
 唐での修業を終えた空海(弘法大師)が建立。密教が東に長く伝わるようにと祈願された寺。日本一の木造釈迦仏座像。寺内には筑前国主黒田忠之(二代)、同光之(三代)の墳墓がある。正月28日の初不動、2月の節分会、3月の正御影供には多くの参拝者が訪れる。

聖福寺
 禅宗の始祖、栄西によって建立された、わが国最初の禅寺。山門の「扶桑最初禅窟」の勅額は後鳥羽上皇の宸筆で、寺域は禅寺の典型的な伽藍形式のものとして国史跡に指定。近隣には承天寺、東長寺など由緒ある寺社が集まっていて、静かなたたずまいを見せている。

承天寺
 鎌倉時代の仁治2年(1241年)、大宰少弐・武藤資頼が聖一国師(円爾)を招聘して創建。創建にあたっては、日宋貿易の拠点として栄えた博多で活躍していた謝国明ら宋商人が多くの援助を与えた。盛時には『西海の巨刹』と呼ばれるほどの規模を誇った。
 宋で仏法を学んだ開祖の聖一国師(円爾)は、博多の文化に多大なる影響を与えており、博多を代表する祭りの博多祇園山笠は聖一国師が疫病退散に行った祈祷がもとになったといわれる。また、聖一国師がうどん・そば・饅頭の製法を中国より持ち帰り、博多で初めて普及させたともいわれる。
 文化財も多数保有し、境内には石庭「洗濤庭(せんとうてい)」や「オッペケペー節」で一世を風靡した川上音二郎の墓など見どころも多い。今に伝わる博多の伝統・文化の形成において中心的な役割を果たした。

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太宰府天満宮~光明禅寺~観世音寺~戒壇院

 朝いちばんで太宰府天満宮へ。この時間帯では、いずこの境内も比較的年配の方の散歩が多いところを、ここでは珍しく若い女性の姿も見かけました。やがて、札所が開いて分かりました。巫女さんだったのです。
 観世音寺の収蔵庫には立派な仏様たちが立ち並んでいます。係の人も、「京都・奈良より西ではここが一番ではないか。」と話していました。

太宰府天満宮
 菅原道真を祭る。全国の天満宮の総本社。学問の神様として、祈願の人々で賑わう。境内には天然記念物のヒロハチシャやクスの木、梅、花菖蒲があり、四季折々の風情が楽しめる。

光明禅寺
 天神様と禅宗の教えが結びついた渡宋(唐)天神の伝承により、鎌倉時代(1273年)に創建された寺。一般 には苔寺として親しまれています。苔で陸を、石を配して”光”の文字を描いた石庭があり、紅葉やシャクナゲなどが四季に彩 りをそえています。
 藤原氏の血縁である鉄牛円心和尚が鎌倉時代に建立した臨済宗の寺。太宰府天満宮の参道をのぼりつめ、右に曲がると突き当たりにある。苔寺の別名でも親しまれ、2つの庭は名園としても知られている。
 前庭は九州唯一の石庭で、15個の石を光の字に配した「仏光石庭」。裏庭は「言一滴海庭」と呼ばれるコケ庭で、青コケで大陸と島を、白砂で大海を現した枯山水の庭園。秋には紅葉が見事で、多くの人が訪れる場所である。

戒壇院
 戒壇院は天平宝字5年(761)、聖武天皇の勅願によって観世音寺に置かれた。奈良の東大寺、下野(栃木県)の薬師寺とともに、日本三戒壇の一つで、西戒壇と言われた。
 戒壇とは僧尼として守るべき戒律を授ける所。ここで戒を受けなければ正式の僧尼とは認められなかった。唐の高僧鑑真が幾多の困難の末に来日した際、立ち寄っている。本尊の盧舎那仏は平安時代末の作で、重要文化財。
 江戸時代には観世音寺から離れ、現在は禅寺となっている。境内には鑑真が請来したと伝えられる菩提樹があり、6月上旬頃の花の開花時期になると、その上品な香りに魅せられた人々が訪れる。

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柳川~福厳寺~御花~北原白秋生家~川下り見物

 御花は立派な庭園で、高い所から全景を眺められるのも珍しいかもしれません。川下りの舟がいかにも水郷・柳川らしかったです。

福厳寺
 鉄文の開山と伝える黄檗宗の寺院で、のちに柳川藩主立花家の菩提寺となった。寺には芥川賞作家長谷健と、直木賞作家壇一雄の墓がある。予約により中国風精進料理「普茶料理」を出している。

柳川藩主立花家別邸御花
 旧柳川藩主立花家の別邸。明治の後期に迎賓館としての西洋館とそれに続く和館の大広間から成る和洋折衷の邸宅を整えた。大広間の前に広がる庭「松濤園」は、樹齢200年を超える松の古木と島々に見立てた岩石を配置し荘厳な趣をもち、国の名勝にも指定されている。
 旧伯爵の居室は、料亭の個室として利用でき、立花家史料館では歴代藩主の刀剣や甲冑などの国宝や重要文化財を見ることができる。

北原白秋生家
 明治から昭和初期に活躍した近代日本を代表する詩人。北原白秋。「雨ふり(雨雨フレフレ)」、「待ちぼうけ」、「からたちの花」など聴いたら誰もが知っていて、今なお、愛される作品を数多く残した白秋は、柳川で生まれ育ちました。
 北原白秋の生家は、代々柳川藩御用達の海産物問屋でしたが、白秋の父の代になると、柳川地方でも一、二をあらそう酒造業を営むようになりました。生家は明治34年の大火で大半は焼失。母屋だけが残り、昭和44年11月に復元。現在、この生家内には白秋の著書や遺品、さらには柳川の風物にゆかりの深い資料が数多く展示されています。

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