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三戸城
- 2020/08/20(Thu) -
2020年7月17日
コース:三戸~三戸城

 八戸から青い森鉄道で南下して三戸へ向かいました。
 室町初期のころまでは南部一族のうち、根城を本拠とする八戸南部氏が勢力を広げていましたが、室町中期より三戸南部氏の力が高まりました。当代の南部晴政が居城にしていた聖寿寺館(本三戸城)が1539年に焼失したため、晴政は1560年代に標高130mの独立丘陵の留ヶ崎の地に三戸城を築いて居城としました。
 1590年の豊臣秀吉の小田原征伐には、26代当主の南部信直は1千の兵を率いてかけつけ、秀吉によって南部7郡の所領を安堵され、近世大名としての地位を確立しました。その後、九戸城主の九戸政実が反乱を起こしたため、豊臣軍とともに九戸城を攻め落とし、蒲生氏郷らにより、三戸城は石垣を持った城へと普請され、三層三階の御三階櫓が築かれました。
 昭和に現在の模擬天守が築かれ、平成に綱御門が復元されています。

三戸城47

三戸城1 三戸城2 三戸城3 三戸城4 三戸城5 三戸城6 三戸城7 三戸城8三戸城9 三戸城10 三戸城11 三戸城12 三戸城13 三戸城14 三戸城15 三戸城16 三戸城17 三戸城18 三戸城19 三戸城20 三戸城21 三戸城22 三戸城23 三戸城24 三戸城25 三戸城26 三戸城27 三戸城28 三戸城29 三戸城30 三戸城31 三戸城32 三戸城33 三戸城34 三戸城35 三戸城36 三戸城37 三戸城38 三戸城39 三戸城40
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八戸根城
- 2020/08/16(Sun) -
2020年7月17日
コース:八戸~根城

 現存十二天守にして桜の名所の弘前城。この西の弘前とともに東の八戸にも青森県内の堂々の日本100名城があります。青い森鉄道で八戸まで南下して根城に登城しました。
 鎌倉幕府滅亡の1333年、後の南朝方後醍醐天皇側近の北畠顕家は甲斐国地頭職の南部師行を伴って、陸奥国に下向しました。師行はこの地に築城して、南朝方の根本の城なるようにと、根城 と名づけました。以来領地替えまでの約300年間、八戸地方の中心として栄えました。
 国史跡に指定され、城としての機能が最も充実した安土桃山時代の姿を忠実に復原。主殿や工房・納屋・馬屋などの建物が忠実に復原され当事の面影を現代に伝えています。城内を周っていると、馬屋に馬がいて驚きました。

根城51

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三内丸山遺跡
- 2020/08/13(Thu) -
2020年7月17日
コース:青森~三内丸山遺跡

 出羽の国、秋田県の県都秋田から、陸奥の国、青森県の県都青森へと北上しました。時代は緯度以上にさらにさかのぼり、秋田城の中世奈良時代から古代縄文時代へと、三内丸山遺跡を見学しました。
 この地に遺跡があることは、江戸初期から記録され知られていました。時は下って平成初期に、青森県は県営野球場建設のため、本格的な調査を行ったところ、大規模な集落跡や大型建物跡が見つかり、大英断により野球場は中止され、遺跡は保存されました。
 復元された大型掘立柱や高床式建物を実際に見ると、重機はもちろんのこと斧や鋸など金属器もまだない時代に、よくこれだけの大きな木材を切り出してここに運んで建てたものと感動を覚えます。当日もボランティアガイドさんが見学者に熱心に解説していました。
 また、「縄文文化は、自然と人間が共生し、約1万年にわたって営まれた、高度に発達・成熟した、世界史上稀有な先史時代の文化で、人類共通の宝として未来へ伝えていかなければならない貴重な文化遺産である」と、世界遺産登録をこちらも熱心に目指していました。北海道へもまたがる遺跡分布地図を見ると、何だか江戸末期の列藩同盟を連想しました。
 旧東北本線の青い森鉄道。さすがにイメージカラーは青でした。ここからは旧南部領を南下していきます。

三内丸山63

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恐山
- 2019/08/11(Sun) -
2006年7月30日
コース:八戸~恐山~むつ

 東海地方の参拝シリーズに続いては、東北地方からおくります。はじめに本州最北端下北半島から恐山です。
 日本三大霊場にして、地獄と呼ばれる荒涼とした風景や、イタコの口寄せなどの不思議な霊域を、いつかは巡礼をとようやくこの時に訪ねられました。この日は遠くは霞む霧がちの天候で、いちだんと神秘的な雰囲気でした。
 後半はむつ市に戻り、斗南藩に関連した史跡を訪ねました。戊辰戦争で新政府軍に敗れた会津藩は廃藩、改易となりました。明治2年に松平容保の嫡男容大が家名存続が許されて、ここ斗南領3万石が与えられ、恐山本坊の円通寺を仮の藩庁としました。徳玄寺は幼い松平容大の遊び場や、家臣たちの会議場となりました。廃藩置県により、藩主や多くの斗南藩士が離れて、再び静かな境内を取り戻したそうです。

八戸~野辺地~大湊線~下北~三途川
恐山1 恐山2 恐山3 恐山4 恐山5 恐山6 恐山7 恐山8 恐山9 恐山10 恐山11 恐山12 恐山13 恐山14 恐山15 恐山16
恐山17 恐山18 恐山19 恐山20 恐山21

恐山~菩提寺~宇曽利山湖
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むつ~常念寺~円通寺~徳玄寺~牧場
恐山56 恐山57 恐山58 恐山59 恐山60 恐山61 恐山62 恐山63 恐山64 恐山65 恐山66 恐山67 恐山68 恐山69 恐山70 恐山71 恐山72 恐山73 恐山74 恐山75
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弘前
- 2014/07/11(Fri) -
1998年2月28日~3月1日
コース:秋田~五能線~黄金崎不老ふ死温泉~津軽藩ねぷた村~弘前城~最勝院

 この当時は、JR東日本管内は新幹線の自由席にも乗れるウィークエンドフリーキップが発売されていました。それならば、現地の観光時間は短くても、1泊2日で行ける所まで行ってみようと、この時の津軽行きになりました。
 冬の日本海側を北上しました。海岸沿いはそれほどのドカ雪ではありません。秋田ではバイクにチェーンをつけて雪の上を走っていました。五能線に乗り換えて、一度は訪ねたかった 黄金崎不老ふ死温泉に泊まりました。有名な海岸の露天風呂はしだいにお客さんで混んできて、みな日本海に沈む夕日を眺め終わるまで、誰も湯船から出ようとしません。管理人も2時間たっぷり浸かりました。
 弘前城はあと2ヶ月もすれば、桜で大にぎわいです。目を見張るのは、城の広大な縄張りです。江戸城より北では一番ではないでしょうか。北海道や北東北を視野に入れた軍事拠点だったのでしょう。城とともに五重塔も大変立派でした。京都も連想しました。案内を引用します。

「黄金崎不老不死温泉(こがねさきふろうふしおんせん)は、青森県西津軽郡深浦町にある温泉。一軒宿の「不老ふ死温泉」が存在する(株式会社黄金崎不老不死温泉が経営)。海辺の岩場にある露天風呂が有名である。日本海に沈む夕日の写真が雑誌などで紹介されることが多い。ただし日帰り入浴は午後4時までである。ひょうたん型の混浴浴槽のほかに、女性用の浴槽も近年設けられた。
 CMの撮影に当温泉地が登場することもあり、近年ではトヨタ自動車のラクティスのCMに登場した。湯の色は最初透明だが、すぐに含まれる鉄分が酸化して濃い茶褐色となる。塩分濃度がかなり高く、口に含むと塩辛く感じる。」
(ウィキペディアより)

「津軽藩ねぷた村
 追手門広場から北へ徒歩約15分、亀甲町に津軽藩ねぷた村があります。ここは、藩の御蔵を一部改造して作られた観光施設で、実物大の大型ねぷたをはじめ、大小さまざまなねぷた、また関係資料を多数展示しており、笛と太鼓のお囃子の実演や体験もできます。
最勝院五重塔
 近隣の人々に大円寺の五重塔とも呼ばれ親しまれているこの塔は、元は真言宗大円寺所属のもので、明治5年(1872)神仏分離の際、大円寺は大鰐町蔵館へ移り、その跡を最勝院が譲り受けました。
 五重塔は津軽統一の過程で戦死した人々の供養塔といわれており、高さは31.2メートルあり、五重塔の少ない東北地方としては、極めて大切な遺構です。」
(弘前市より)

弘前1 弘前2 弘前3 弘前4 弘前5 弘前6 弘前7 弘前8 弘前9 弘前10 弘前11 弘前12 弘前13 弘前14 弘前15 弘前16 弘前17 弘前18 弘前19 弘前20 弘前21 弘前22 弘前23 弘前24 弘前25 弘前26 弘前27 弘前28 弘前29 弘前30 弘前31 弘前32 弘前33 弘前34 弘前35 弘前36
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