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がっちゃんの長州旅行記
- 2015/06/28(Sun) -
 管理人ふさじろうです。山仲間のがっちゃんが、ゴールデンウィークに、大河ドラマ花燃ゆ の舞台、山口県を訪ねてきました。琉球旅行記と同じように今回は長州旅行記として紀行をまとめてもらいました。写真は大きめのサムネイルにしましたので、このままでもご覧になれますが、案内文などはクリックで大きくしてお読みください。


                           がっちゃんの長州旅行記

日程とコース

5月2日 羽田 → 萩石見空港 → 花燃ゆ大河ドラマ館 → 萩ユースホステル(泊)
5月3日 野山獄・岩倉獄跡 → 松陰誕生地 → 松陰神社 → 楷の木 → 萩博物館 → 堀内鍵曲 → 萩駅 → 菊ヶ浜
       → 萩の地形、萩から見える島 → 萩ユースホステル(泊)
5月4日 萩城跡 → 志都岐山神社 → 旧萩藩校明倫館 → 新山口駅へ → SLやまぐち号 → 防府へ → 大楽寺
       → 英雲荘(三田尻御茶屋) → 防府天満宮 → 周防国分寺 → ほうふ花燃ゆ大河ドラマ館
       → ホテルたからや(泊)
5月5日 毛利博物館 → 徳山 → 大阪 → 帰路


5月2日

 5月2日12時30分、萩石見空港に降り立ちました。羽田からは1日2便しかない飛行機は満席でした。今年の大河ドラマはイマイチ盛り上がっていませんが、それでも萩を訪れたいと思っている人が多いのだろうと予想しました。萩石見空港と名乗っていますが、空港の所在地は山口県ではなく島根県。空港から萩までは、普段は直行する交通機関はなく、いったんJR益田駅に行くか、予約制乗合タクシーに乗るしかありません。
 しかし、大河ドラマの客を見込んでか、4月3日から来年1月10日までの金土日祝日は、萩行直行バス「花燃ゆ号」が運転されています。空港では、ピンク色の法被を着たスタッフが出迎えてバスチケット売り場、バス乗り場を案内していました。大型連休初日。かなりの人がこのバスに乗るのではないかと思っていました。おそらくスタッフの方も。
 ところが、バスを待っているのは私の他に1人だけ。バスを待っているとスタッフの人が話しかけてきました。話題は大河ドラマと私の旅行の目的が中心でした。他のスタッフの人にも話しかけられ、同じ話をしました。客よりもスタッフが多くなっている事に、気の毒になってしまいました。
 たくさんの観光客を乗せる予定だった大型バスは、乗客2人で萩の大河ドラマ館に直行しました。まず旧明倫小学校体育館に設置された「花燃ゆ大河ドラマ館」を見学しました。ここは、さすがに大河ドラマファンでたくさんの人が来ていました。
 ここで地図、パンフを入手して今後の予定を検討しました。2日目をサイクリングで回る予定でしたが、2日目の予報は雨。なのでバスで観光する事にしました。萩循環まぁーるバスと萩市内バスが乗れる共通2日間乗車券をゲットし、2路線ある萩循環まぁーるバスを一通り乗り回し、本日の宿、萩ユースホステルに向かいました。萩ユースホステルでは、大河ドラマファンの方と相部屋になり、大河ドラマ談義に花を咲かせました。

 大河ドラマ館の人物相関図で主人公 文(ふみ)は、3男4女の兄弟姉妹であるが、ドラマでは3男2女となっています。一つ上の姉は早世しているのでドラマに出ていないのは理解できますが、93歳まで生きた長女が描かれていないのは、ちょっと不可解でした。たぶん、文よりも松陰に影響を及ぼしていると思われますが。

萩ユースホステル
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海岸夜景
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5月3日

 萩は予報どおり雨。しかも冷たく風も強かったです。今日が観光の日。予定通りバスで観光。

野山獄・岩倉獄跡
 大河ドラマでは、吉田松陰が2度投獄されたのが野山獄です。名前からして町から相当離れた場所を想像していたのですが、場所は街中。しかも野山獄と岩倉獄は道を一本隔てただけで向かい合わせ。ドラマでは凄く遠く離れたイメージだったので、ちょっと拍子抜けでした。今は一般住宅が建ち、一部の跡地に碑が残っているだけです。

野山獄・岩倉獄
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松陰誕生地
 松陰誕生地でもあり、松陰の墓もある場所です。萩の高台にあり、萩が一望出来る場所です。松陰の他、松陰の父母、兄弟、高杉晋作の墓もあり、大河ドラマのオールキャストが揃っていました。松陰銅像でしゃがんでいるのは、松陰と黒船に乗った金子重輔。

松陰誕生地
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東光寺
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松陰神社
 大河ドラマの影響で人出が凄かったです。松下村塾も現存していました。ドラマのセットはおそらく忠実に再現されているので、どこかで見たような建物でした。この2日後に世界遺産登録勧告されています。幕末の建物が今も残されている事は素晴らしいことですが、世界遺産にするまでの建物なのかは疑問です。

楷の木
 どんな由来があるのかと思ったらなんと平成元年に会津藩校日新館から貰い受けたもの。会津は長州に対しては因縁があっても、吉田松陰に対しては因縁は無いようです。会津の人は知っているのかなあ?

松陰神社
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松下村塾
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松陰幽囚の旧宅
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楷の木
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萩博物館
 ここでは、吉田松陰の手紙、楫取素彦の手紙、久坂玄瑞の手紙、高杉晋作の手紙を特別展示していました。手紙からそれぞれの人柄や時代背景を解説した学芸員の方の説明は非常に興味深く、面白かったです。内容を知りたい方は是非、萩博物館へ。

萩博物館
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堀内鍵曲
 石垣や風景は昔の面影を残していました。ドラマで使われた場所を探して歩き回りましたが、どこで撮影されたかは不明。

堀内鍵曲
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口羽家住宅
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江風山月書楼
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萩駅
 バスの乗り換えポイントである為、何度かこの駅で途中下車しました。萩のメイン駅は東萩駅ですが、大正14年に建てられた萩駅は洋館駅として登録文化財に指定されています。日本初の鉄道(新橋~横浜間)の開通に貢献した井上勝は萩の出身。
 萩駅舎は、井上勝を含む長州ファイブ、ミニ鉄道博物館となっています。ちなみに駅としての機能は左端のみなので、駅なのに駅がどこなのか迷っている人もいました。当時の公衆電話は自分で働くのですね。

萩駅
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菊ヶ浜
 大河ドラマのオープニングで大砲の訓練場面で撮影された場所です。萩の一般の人もエキストラとして参加してロケが行われました。

菊ヶ浜
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萩の地形、萩から見える島
 萩は特異な地形をしています。町を囲む三角州、陸の先端にある指月山、沖にたくさん見えるテーブルマウンテンのような島々。なんとこれは火山活動によって出来たもの。
 玄武岩の小さな溶岩台地、マグマのしぶきによって作られたスコリア丘、安山岩で出来ている平らな頂部を持つ小さな溶岩台地。世界中で萩だけしか見る事ができない火山地形もあるとの事。萩を形成したのは、50余りの火山が集まった阿武火山群。
 ちなみに火山群は日本に、福江火山群(長崎)、東伊豆火山群と3つあります。今、日本は火山活動が活発ですが、阿武火山群も2003年に活火山に指定されています。火山活動は終息したと考えられておらず、今後も火山活動が起こる可能性が残されています。
 夜はYHで旅の報告会と大河ドラマ鑑賞でした。

地形と島
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5月4日

萩城
 早朝5時半に起き、萩城跡へ行きました。戦国時代、中国地方の最大最強の武家、黒田官兵衛のライバル的存在だった毛利家が行きついた場所。仕方なく萩に来たことになっているようですが、結果的に最高の居場所に行きついたのではないかと思いました。
 指月山。標高143m。頂上まで30分とあったが、眺望はないとの注意書きなので、登りませんでした。登った人に話を聞いたところ、特に何も無かったようです。

萩城
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「花燃ゆ」のロケに使われた志都岐山神社
 たしか早朝に文と久坂玄瑞が出会うシーン。城に近いというよりは、完全に城内。城内の警備を考えたら絶対有り得ない矛盾したシーンと思いました。

志都岐山神社
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遊覧船
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旧萩藩校明倫館
 立派な建物で萩市立明倫小学校の敷地内にあり、1867年の廃館ですが、一部はしばらく明倫小学校として使われていたようです。大河ドラマ館もここにあります。
 ドラマでは、ここで教育を受けた人を差し置いて、松下村塾出身者が活躍していますが、明倫館出身者は松下村塾出身者の活躍(暴走?)をどう思っていたのでしょうか?

明倫館
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バスで新山口駅へ移動
 乗ったバスは「スーパー萩号」。通常の路線バスは2000円ですが、このバスはドラマ館から新山口駅直行で1000円。国からの補助が出ているとの事。同じ場所を走っているのに、料金が違いすぎるような?

SLやまぐち号
 思いがけず、SLに出会えました。SL世代ではありませんが、SLには懐かしさの他に不思議な魅力があります。

SLやまぐち号
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普通電車で防府へ移動
 防府は文と楫取素彦が晩年を過ごした場所です。ここにも大河ドラマ館はあるが、大河ドラマで舞台になるのはおそらく、ラスト1、2回。今の主要な出演者はほとんどいなくなっているし、文はもちろん、楫取素彦もそんなに有名ではないようで、行く前から防府では盛り上がっていないという噂。
 でも、こういう機会に防府を訪れたのは何かの縁。ほうふ花燃ゆバスに乗って、観光地を一通り回りました。バス乗り場、バスの中、それぞれの観光地にはボランティアガイドがいて、その地のうんちくを語ってくれました。話す人がいない私にとっては、とても有意義な時間でした。大河ドラマはおいておいて、おもてなしという点では、防府はいい所でした。

大楽寺
 楫取素彦と文の墓があり、文役の井上真央も訪れた場所。それ以前には夏目雅子の墓があるという事で有名なお寺でした。

大楽寺
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英雲荘(三田尻御茶屋)
 萩を拠点とした毛利家は参勤交代の際、萩から防府までを陸路(萩往還)、防府からは海路を通っていました。防府はつまり、長州の玄関口、交通の要衝です。三田尻御茶屋は、藩主の休憩所や迎賓館として使われていた場所。大河ドラマでも京を追われた三条実美ら公家が滞在したとして使われています。
 ちなみに「英雲荘」とは、1939年(昭和14年)に、毛利家から防府市に寄付され、防府の産業振興に尽力した7代藩主の毛利重就の法名から名づけられています。坂本竜馬も滞在したという噂ですが、定かではありません。

英雲荘
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三田尻港
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防府天満宮
 学問の神様、菅原道真公を祀った神社です。「幸せますウィーク」という事で、「幸せます」という花壇が出迎えてくれました。
 大河ドラマでは、禁門の変で京に向かおうとする来島又兵衛とそれを止めようとする高杉晋作が激論をする大専坊が舞台となっています。暁天楼は勤王の志士達が密議を交わした場所。ボランティアガイドさん曰く「普段は開いていない」、という事で入れたのはラッキーでした。

防府天満宮
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周防国分寺
 だだっ広い場所にそびえる山門。普段の生活の場にある公園のような感じでしたが、聖武天皇の勅願によって建立された由緒ある寺。当日の最後の場所、最終バスまでの短い時間と私の勉強不足が最大の要因だが、国分寺金堂の中の重要文化財を拝むことなく、通り過ぎてしまいました。

周防国分寺
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ほうふ花燃ゆ大河ドラマ館
 あまり盛り上がっていないというのは、噂どおりでした。文が防府で晩年を過ごしていますが、防府(他の場所でも)ではほぼ無名。この地を救ったヒロインであれば盛り上がったのでしょうが、今回の大河ドラマで存在を初めて知られた人物では、人を呼ぶのは厳しいかなあ。

毛利氏庭園
以下は観光協会の毛利氏庭園の説明からの抜粋です。
 旧萩藩主毛利氏により、大正5年(1916年)に建てられたもので、平成23年(2011年)に国の重要文化財に指定された邸宅は近代和風住宅の精華を示す壮大な建築。平成8年(1996年)に国の名勝指定を受けた庭園はひょうたん池を巡る回遊式で、四季折々の景観が楽しめます。邸宅の一部を毛利博物館の展示室として、毛利元就ゆかりの品をはじめ、国宝や重要文化財を含む約2万点の宝物を所蔵、展示しています。

 広大な敷地に大きな庭、大きな建物、瀬戸内海の眺望。迎賓館の役割も兼ね、大正天皇も泊まられたという場所。紅葉の季節に来たらいいなあと思いました。 毛利家と幕末・維新 ―大河ドラマ「花燃ゆ」の時代背景― という展示をやっていましたが、イマイチよくわからず素通りしてしまいました。
 私は、明治維新後、毛利氏がこの庭園に移り住んだと思っていたのですが、大正に入ってからなのですね。明治維新後の毛利氏は改革の中軸を担う人材を輩出し、最後の藩主毛利元徳は新たに創設された華族制度の最高位である公爵となっています。考えると毛利氏は長州なので、勝ち組になるのですね。
 戦国時代よりもっと源流を遡ってみると、なんと毛利氏は相模国(現神奈川県)から始まっています。私(神奈川県出身)も全く無縁ではないのかなあ?
 その後、大阪グルメを堪能し、夜行高速バスで帰りました。

毛利博物館
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ほうふ花燃ゆ周遊バス
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特急プレート
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徳山駅
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姫路城
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大河ドラマ花燃ゆ 所縁の地を巡る旅をしての感想です。

 現地に行く事で、時代の背景を知り、大河ドラマを深く楽しめるのではないかと期待していました。あちこちの大河ドラマ館で幕末志士達と同列に文の年表を見かけました。ですが、文はほとんど歴史に関わっておらず、エピソードもほとんど無いため、文の年表は大部分が空白でした。
 すでに多くの人も同じように感じているかも知れませんが、文を大河ドラマの主役にしたのは無理があったのではないでしょうか。生き様を全面に打ち出せる歴史上の人物が主人公の方が分かりやすいし、見たい気持ちを強く持てたかと思います。
 ただ、普段あまり行く機会の無い山口県に行き、違った角度から日本を見る事が出来て、良い旅になりました。
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がっちゃんの琉球旅行記
- 2013/02/23(Sat) -
 管理人ふさじろうです。山仲間の がっちゃん が、年末年始に沖縄から西表島、石垣島を旅してきました。土産話を聞くと、南の島には関東周辺とは違う別世界のおもしろさがありました。これは私たちだけの話ではもったいないので、旅の様子を編集してもらいました。みなさまもいっしょにお楽しみください。


                           がっちゃんの琉球旅行記

 はじめまして、がっちゃんです。ふさじろうさんとは山旅仲間で、よく一緒に山歩きをしています。こちらのブログにも時々、後ろ姿や遠くで小さく写っています。今回は1ページを借りまして、年末年始に行った沖縄、西表島、石垣島の思い出をまとめました。

日程とコース

2012年
12月30日 羽田 → 那覇 → 旧海軍司令部壕 → 首里城 → 民宿コバルト荘(泊)
12月31日 那覇 → ハブ博物公園 → ガンガラーの谷 → 今帰仁村 → 民謡居酒屋 → ゲストハウス結家(泊)
2013年
 1月 1日 今帰仁城 → 辺野古 → 那覇空港 → 石垣島 → 西表島上原港 → 民宿マリウド(泊)
 1月 2日 西表島ピナイサーラの滝カヌーツアー → 民宿マリウド(泊)
 1月 3日 西表島大原港 → 石垣島 → 具志堅用高記念館 → 島宿月桃屋(泊)
 1月 4日 とうふの比嘉 → 八重山鍾乳洞 → 石垣空港 → 那覇空港 → 成田


2012年12月30日

沖縄へ
 羽田から那覇へ飛びました。前日に石垣島から波照間島へ行った旅仲間から、半袖に着替えたという情報が入っていたのですが・・・。那覇空港は雨。風が強く、海は大荒れで寒かった。外を歩いたら早々に傘が壊れました。
 初めに那覇の南、豊見城市にある旧海軍司令部壕を訪ねました。空港からは沖縄唯一の鉄道(沖縄都市モノレール)ゆいレールに乗って奥武山公園駅へ。
 そこから県道を東に向かって約20分歩きました。観光地っぽくなくて途中に看板もないので少し不安になりながら、なだらかな坂道を歩いて行きました。県道がトンネルに入るところをトンネルの上に出ました。そこからようやく開けてきて左に曲がると、那覇市内と東海岸が見渡せる丘にたどりつきました。その丘の下が目的地である旧海軍司令部壕でした。

旧海軍司令部壕
 旧海軍司令部壕は昭和19年に日本海軍設営隊(山根部隊)によって掘られ、当時は450mあったと言われています。米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、4000人の兵士が収容されていました。戦後しばらく放置されていましたが、数回に渡る遺骨収集の後、昭和45年に観光開発事業団によって司令官室を中心に300mが復元されました。資料室内には、銃器や軍服など壕内より発掘された遺品や家族へ宛てた手紙など、旧日本海軍についての資料が展示されています。
 防空壕のようなイメージでしたが、中はかなり深く広かったです。しかし、この壕の中に4000人もの兵士がいた事を考えると、過酷の環境であった事は言うまでもありません。司令官室、信号室、暗号室、その当時の電源等、一時的にここが沖縄の最前線基地であった事を物語る遺物が多数有りました。壕の中から壕の入り口を見た時、ここから飛び出して行く兵士の気持ちを考えると、ぞくぞくする緊張感を覚えました。

旧海軍壕公園から那覇市街方面を望む
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首里城
 夜は首里城へ出かけました。プレミアムナイト期間中で、首里城はライトアップされ、伝統芸能の催しがされていました。ライトアップされた首里城は、幻想的で山の上に浮かび上がる要塞のようでした。建物は赤く染まり、衣装などの展示物は煌びやかさが目立ちました。
 日本が刀を振り回していた戦国時代以前から、琉球王国は安定した国家であったからなのかな、と思いました。しかし、首里城は、琉球王国時代も何度も焼失し、沖縄戦でも焼失しています。今ある首里城は、1992年に復元された建物ですが、日本でもなく、中国でもない琉球王国の歴史を充分に堪能出来ました。

首里城ライトアップ
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首里城伝統芸能イベント
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首里城再現ジオラマ
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民宿コバルト荘
 この日は、那覇の国際通り近くにある民宿コバルト荘に泊りました。泊まった部屋は、古いマンションの1室で1LDKバストイレ付き。宿主さんは気さくな方でした。沖縄の宿では宿主や旅人同士が集まってお茶をしながらおしゃべりするゆんたくがよく行われます。私は夜歩きまわり過ぎて疲れてしまい、この日はゆんたくに参加せず就寝しました。フレンドリーな感じの宿なので、次回は是非ゆんたくに参加したいです。


12月31日

ゆいレール
 まず、県庁前駅からゆいレールで那覇空港に向かいました。ゆいレールは1日券(600円)と2日券(1000円)があって、私は1日券を使いました。単純に那覇空港と首里を往復するだけで、40円お得です。他の鉄道と違うのは、1日券は24時間、2日券は48時間使えるところです。なので1日目の午後1時から使い始めれば、2日目の午後1時まで使えるので、ゆいレール周辺の散策にはお薦めです。

ハブ博物公園
 那覇空港からはレンタカーで南城市に向かいました。初めに新年の巳年にちなんで、ハブ博物公園へ。30年以上前、沖縄のハブ被害を少しでも減らしたいという想いのもと、ハブの研究施設から派生して設立されました。当時は世界的にも注目度が高い、各国の毒蛇研究者が集まる国際会議の場にもなったほど。当時から今も変わらず、ハブに関する展示物はどこにも劣りません。ハブの意外な一面を知ることもできる施設です。
 ハブの他、白蛇、金蛇、錦蛇、ヤシガニ、コウモリ、ゾウガメ、マングース・・・・ハブのショーも。ハブやコブラの生態を分かりやすく説明してくれて面白かったです。以前は、ハブとマングースの闘いをやっていたそうですが、動物愛護の為、中止されました。代わりに、ウミヘビ対マングースの水泳大会!どっちが勝つか?結構、意外な結果でした。理由があって、毎回同じ結果になるそうです。どっちが勝つかは、現地でお確かめください。

シーサー
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金運をもたらす金蛇
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ガンガラーの谷
 続いて近くにあるガンガラーの谷ツアーに参加しました。2007年調査で遺跡が見つかり有名になった所です。18000年前の生活があったとされ、ツアーでないと入れない場所です。巨大なガジュマルの木があったり、男洞窟、女洞窟があったり、この旅前半で一番印象に残りました。女洞窟は入れませんので、掲載写真は男洞窟の中。女洞窟の中はご想像にお任せします。私は写真だけ見せてもらいました。見たい方は、是非現地へ!
 ガンガラーの谷は、まだ、発掘が進んでいない所があり、これから大発見が見込まれる場所でもあります。それにしても、沖縄戦があったのによく残っていた、と思いました。

大主ガジュマル
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ケイブカフェ
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 「all about 」 に、ガンガラーの谷の重要性や魅力が分かりやすくまとめられていたのでそのまま転載します。
 「いま沖縄で、もっともホットなスポットとして話題を集めているのがガンガラーの谷! そこは、太古の森と出会える秘境、守り慈しむべき聖地です。そんなガンガラーの谷の、ヒトの起源と向き合える壮大なネイチャーツアーが実施されています。50万年前の原始亜熱帯の大自然と肌触れ合ってみませんか?
 なにしろこの谷は、沖縄の自然だけでなく考古学や民俗学的な面からも非常に価値が高く、ニッポン人のルーツとされる港川人の居住跡を求めて今なお発掘研究が続いています。いくつもの鍾乳洞を含めて、大自然を体感できる場所ですから、大勢の人が入って荒れることを防がなければなりません。今回のネイチャーツアーは観光資源の目玉という以上に、ガンガラーの谷の大自然と触れ合うことで、自然とのかかわりや命について考えていただくことが主眼です。
 ガンガラーの谷では、約1万8千年も前に生きていた港川人の居住区であった可能性が高いため国立科学博物館と沖縄県で共同の発掘調査が行われています。港川人。彼らは、新人(現代型ホモ・サピエンス)に属する南方系の古モンゴロイドの一派と考えられており、1967年に沖縄で発見されました。
 専門家の調査研究によりインドネシアのワジャク人(インドネシア)と類似していることから、海に沈んだスンダランド(タイ湾から南シナ海へかけての海底)からやってきたワジャク人が琉球に定着して港川人になった可能性が強いそうです。すなわちここは、人類の歴史を体感できる場所。そして港川人は、後の縄文人になった……。
 「ガンガラー」という呼称は、巨大な鍾乳洞が崩れ去る時の擬音から来ています。土地の人々に言い伝えられてきたのでしょう。ガンガラーの谷は、数百年の昔から地元の人にとっての聖地。入り口にそびえている通称ウフシュ(大主)ガジュマルは推定樹齢150年です。女性の子宮をイメージさせるイナグ(女)洞、カミンチュ(神人)や地元の人々が願いを託すイキガ洞(男)の御嶽サニヌーシウタキ(種之子御嶽)。
 そして、ネイチャーツアーの最終目的地は「武芸洞」です。約1万8千年前の人類「港川人」の居住跡を求めて、発掘が行われている現場を見学します。なお、洞窟の中には「ケイブカフェ」がオープンしています。のんびりお茶しながら大自然の息吹を感じてみるのもよいですね。」

男洞窟
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これが港川人だ!
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ゲストハウス結家
 この後どっと北へ移動して、大晦日の宿は本部半島今帰仁村のゲストハウス結家へ。旅人からの情報でいい宿という事で、楽しみにしていました。宿の女将さんが芸達者で、常に宿の中心にいました。女性の宿泊客や常連の方が多くいらして、女将さんの人柄がうかがえました。夜は紅白歌合戦、花火、旅話で盛り上がりました。今回の旅は、宿の写真が全然ありません。撮っておけば良かった。

民謡居酒屋
 夜の宴会前は、夕食を食べに近くの民謡居酒屋へ行きました。まだ夕暮れ時でしたので、客は少なかったですが、夜になると満席になるそうです。「島唄」や「ハイサイおじさん」、聞いた事のある歌を5、6曲披露されました。沖縄には民謡居酒屋が多数有り、毎日、歌を披露されています。他の場所には無い、文化があると思いました。

今帰仁の民謡居酒屋
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2013年1月1日

明けましておめでとうございます!沖縄は暖かく穏やかな新年を迎えました。

初日の出
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今帰仁城
 初日の出を今帰仁城へ見に行きました。今帰仁城は建造物です。私は普段山に登っていて、日の出も見慣れていますが、初日の出はやはり感慨深いものがあります。天気を気にしながら、ハラハラして見るからでしょうか?
 今帰仁城は、琉球が中山に統一される前の「三山鼎立時代」には山北(北山)王の居城とし、また中山が三山を統一後には琉球王府から派遣された監守という役人の居城でした。外郭を含めると7つの郭からなり、その面積は首里城とほぼ同規模で、城を囲む石垣は地形を巧みに利用し曲線を描き、城壁のディテールは美しく、沖縄屈指の名城です。
 2000年に座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡、首里城跡、園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽と共に本村の今帰仁城跡の九つの資産が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産リストに登録されました。
 1609年の薩摩軍の琉球侵攻で城が無くなっています。建物はありませんが、日本にある城とは違い、細長い城壁を持ち、外観だけだと万里の長城かと思ってしまいます。日本で一番早く咲く桜、緋寒桜を咲いているのを見た、という情報がありましたが、私は見落としてしまいました。

世界遺産 今帰仁城跡
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辺野古
 那覇へ戻る途中、普天間飛行場の移転先候補地として何かと話題の辺野古へ立ち寄りました。キャンプシュワブは有刺鉄線も使った基地との境界が海まで伸びていました。柵の近くに行くと、基地移設反対の文言が数多く書かれていて、中には韓国語で書かれたものもありました。

辺野古
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石垣島、西表島
 さあ、いよいよ西表島へ!まずは那覇から飛行機で石垣島へ上陸!石垣島空港からはバスに乗って離島フェリーターミナルへ行きました。意外とバスに乗る人は少なくて少し迷いました。バスターミナル行きとなっていたので、フェリーターミナルに行くのかも聞かないと分かりませんでした。
 他にもフェリーターミナルに行くかを聞いている人がいたので、もう少し親切な看板があってもいいのかなと思いました。3月7日に開港する新石垣島空港では、改善してほしいです。離島フェリーターミナルからは船で西表島上原港へ。そして、16時50分ついに西表島上陸!

民宿マリウド
 本日の宿は、民宿マリウド。私が宿を選ぶ基準は、フレンドリーである事、食事が美味しい事、アウトドアの企画が充実している事。事前に綿密に調べていったので、期待していました。
 食事の時から、他の宿泊客とフレンドリーに話す事が出来ました。カヌーをやった話、ウミガメに出会った話、ジャングルを歩いた話。私が何も話さなくてもどんどん話してくれるので、楽しかったです。食事はなんとお寿司食べ放題、泡盛飲み放題。これでもかというほど、お寿司を食べました。写真が無いのが、残念!


1月2日

西表島の朝
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西表島カヌーツアー
 今回の旅のメインイベント、西表島でカヌーをやる時が来ました。目的地は、ピナイサーラの滝。カヌー2時間、登山1時間のツアーに参加しました。メンバーはガイドを含め8名。前日の食事で知り合った人もいたので、違和感なく一緒に行動できました。いよいよカヌー開始!いきなりリアルジャングルから始まり、ワクワクしていました。
 カヌーは高知県四万十川や奈良県吉野川でやった事があるのですが、油断するとバランスを崩すのでスリルがあります。マングローブの中をゆったりとカヌーで行く。自然と一体となった至福な時間を満喫しました。
 ピナイサーラの滝の近くまで、カヌーで行き、そこから約40分の歩きでピナイサーラの滝の上に着きました。ここからの眺めは圧巻でした。高さ55mの滝を上からも下からも実感しました。

ヒナイ川を行く
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滝が見えてきた
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ピナイサーラの滝
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みんなでピナイサーラの滝
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民宿マリウド2泊目
 当日、離れるメンバーを見送り、食事の時は、カヌーツアーの思い出話、新たな宿泊客と旅を語り合いました。私自身、沖縄旅行は2回目。離島まで来るのは、今回が初めてでした。沖縄の場合、宿の常連と言うよりも、沖縄、離島の常連が多いですね。
 私は西表島に拘って、他の島に行く事は考えていませんでした。離島常連の方は、黒島、竹富島、波照間島、小浜島、鳩間島、(他の島で抜けている所ありましたら、ごめんなさい)をはしごしている人がたくさんいました。西表島だけでなく、八重山諸島は懐がかなり深いと思いました。


1月3日

西表山猫
 この日の予定は、石垣島に移動するだけだったので、余力があれば、もう一回カヌーツアーに参加するつもりでした。ところが、天気は大雨でカヌーツアーは中止。宿の近くの上原港便の船が早々と欠航を決め、バスで1時間の大原港に移動しなければなりませんでした。もう一回カヌーに乗りたかったのですが、出来なくなり残念でした。
 西表島といえば、西表山猫。でも西表山猫は夜行性で西表島の人も西表山猫には会った事がないそうです。西表山猫に会うのは、宝くじで1000万円当てるよりも難しいそうです。西表島では、山猫や大鰻には出会えませんでしたが、カラスの他、シオマネキ(カニ)の群衆、ミナミトビハゼ、タカサゴ白アリ、テナガエビ、カンムリワシに出会う事が出来ました。

西表山猫の保護を訴えるポスター
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ミナミトビハゼ
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カンムリワシ
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焼肉金城
 嵐のため、早めに石垣島に渡りました。石垣島での観光は元々予定していなかった為、どこに行こうか試行錯誤していました。まずは教えてもらった焼肉屋金城で腹ごしらえ。牧場直営、長期肥育された石垣牛を出す店で有名です。フルコースは値段が高いですが、ランチは手頃な値段で食べられます。私はハンバーグを食べました。石垣島を訪れる芸能人が良く来る店らしく、店内はテーブル毎に仕切られ、カメラ禁止、握手やサインを求める事を禁止する事が注意書きにありました。

具志堅用高記念館
 石垣島で行く場所を決めました。目的地は具志堅用高記念館。離島フェリーターミナルから歩く事20分。記念館にはたくさんの展示物があり、見学者も多数訪れていました。特にする事がなかったので、ずっとボクシングの試合をみていました。具志堅用高は凄いボクサーだと改めて思いました。

具志堅用高記念館
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島宿月桃屋
 本日の宿は島宿月桃屋。旅仲間お薦めの宿で、私が宿に入った時から、ゆんたくで盛り上がっていました。夕食は、居酒屋で旅人達と語り合いました。


1月4日

とうふの比嘉
 琉球の旅も今日が最終日。早起きして同宿の人と一緒に、早朝やっている豆腐屋へ行きました。自転車で市街地を離れ畑の中にある知る人ぞ知る「とうふの比嘉」へ。朝6時半から営業していて、食事をする事が出来ます。島豆腐作り体験もやっているので、次は体験したいと思いました。

八重山鍾乳洞
 午前中は八重山鍾乳洞へ行きました。古代人が住んでいた痕跡が残るという歴史のある鍾乳洞でした。市街地に戻り、旅人お薦めの八重山蒲鉾を購入し、空港へ向かいました。おにぎりかまぼこはお薦めです。

八重山鍾乳洞
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帰路
 石垣島からは全日空、そして那覇から東京(成田)へはジェットスターを使いました。LCC初体験です。1月4日ですが、値段は大手他社の半額並み。でも手荷物代や席指定料、成田からの東京までの交通費や時間のロスを考えると、微妙な値段でした。(別の時期であれば、値段は1万円以下の日もあるそうです。)
 座席はオーディオ機器の設備がないのでいたってシンプル。飲み物はジュース類200円、ビール450円、iPadレンタル料700円。サービスはほとんど有料ですが、自分で飲み物、読み物を持ちこみ、窓側席を選んでいたので不自由や飽きは感じませんでした。
 成田に降りて、切るような風の冷たさを感じ、沖縄は暖かかった事を実感しました。


 歴史あり、グルメあり、アウトドアありで、さらにフレンドリーな宿で癒された充実の琉球旅行でした。
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